前原誠司(衆議院議員)

日々是好日

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朝日新聞DIGITAL・「うまくいったのは結果論」日航破綻主導の前原氏に聞く2020/02/08

朝日新聞DIGITAL ■JAL破綻の真相:「うまくいったのは結果論」日航破綻主導の前原氏に聞く 

聞き手=高橋尚之 (20201231000分) 

 

「うまくいったのは結果論」日航破綻主導の前原氏に聞く 

 日本航空が20101月に会社更生法の適用を申請し、経営破綻(はたん)してから10年がたちました。政権交代直後だった当時、鳩山由紀夫内閣の国土交通相として、日航の破綻処理を主導した前原誠司氏に当時の様子を聞きました。

 

■毎日胃薬

―国交相に就いたときは、どんな思いでしたか。

  100年に1度と言われるリーマン・ショックが起きた直後に政権交代した。経済が低迷するなかで日航を再生するのは、毎日胃薬を飲むような状況だった。怖かった。うまくいかなかったら景気の二番底の引き金を引くかもしれないと思っていた。

 

―就任当日の会見で、自民党時代に国交省が準備していた日航再建のための有識者会議を白紙撤回すると表明しました。

  日本航空の西松遥社長(当時)と国交省航空局は基本的に信用しないというスタンスで始めた。情報が信じられなかったからだ。そこで専門家のタスクフォース(TF)をつくって資産査定を徹底的にやってもらった。客観的に日航の病状を判断したいと考えた。

 

―結果的に再建を担うことになったのは、TFではなく、官民ファンドの企業再生支援機構でした。

 当時はTFで、(償権者間の話し合いで再生する)私的整理をやってもらおうと考えたが、お金が足りないとわかった。日航は(燃費の悪い)ジャンボ機を持ちすぎたり、不採算路線を維持したりして経営が悪化していた。リーマン・ショック後で金の出し手もなかった。そこで目をつけたのが企業再生支援機構だった。渡りに船とはこのこと。担当は菅直人副総理(当時)。「日航は前原に任す、俺は触らない」というスタンスだったが、口説きに口説いて説得した。(菅氏の協力を得られたことが)再生の大きなステップになった。法的整理は悩ましかったが、私が最終的に決めた。

 

―「法的整理」という言薬は最後まで口にしませんでした。

  飛行機を1便も止めずに飛ばしつづけながら法的整理をするというウルトラCをやらなければいけなかった。私が法的整理と言えば株価がつかなくなってしまう。そこで『公的整理』という言い方を貫いた。

 

■国交省はすごかった

 ―民主党政権は政治主導を掲げました。官僚とはどんな関係でしたか。

  日航に関して最初は信用しなかったが、方針を決めた後の国交省の動きはすごかった。おかげで飛行機は1便も止まらなかった。飛行機の燃料はツケ(後払い)で調達しているのだが、経営難になるとツケがきかなくなる。「大臣、現金を積まなければいけません」と言ってきた。そこで政策投資銀行につなぎ融資を頼むことになった。

  ある時、財務官僚と国交官僚のやり取りが耳に入ってきた。財務官僚が「前原さんは最後は財務相の藤井(裕久)さんに泣きついてカネを出してもらおうとしているんじゃないか」と言ったという。それに国交省幹部が「(前原)大臣は日航を今つぶしたら日本の経済がダメになると思って本心から立て直そうとしている。財務省からお金をもらえばいいなんて考えでいない」と否定したという。私の考えを分かってくれていることがうれしかった。

 

■関心がおありだと思った

 ―破綻後の日航を託したのは、京セラを創業した稲盛和夫さんでした。稲盛さんは旧知の仲ですね。

 まさに三顧の礼で迎えた。最初に話を持ちかけた0910月は「俺は航空会社(の経営)はやったことはない」とけんもほろろに断られた。だけど「ところで前原君、日航の経営状態はどうなんだ?」と聞いてきた。翌11月に行ったら「ところで日航は今どんな状態か?」とまた聞かれる。これは関心がおありだと思った。最終的に12月に引き受けてもらうことが決まった。

  日航会長になった後、稲盛さんから怒られたことが1度あった。国交省の分析で、日航の提携先は従来の米アメリカン航空ではなく、(秋波を送ってきた)デルタの方が良いという結果が出た。さらに、格安航会社(LCC)の計画を更生計画に盛り込んで欲しいと伝えたら、「口を出すなら俺はやめる、あんたが社長やれ!」と怒鳴られた。デルタと組んだら米の独占禁止法の手続きに時間がかかるぞとおっしゃった。

 

―日航が公的支援を受けたことで、もうけすぎだという批判が出ました。 

 これだけ税金を使ってうまく行かなければどう責任をとるんだとさんざん言われたが、当時は2次破綻する可能性もあった。またつぶれるんじゃないかという心配があり、徹底的にサポート態勢をとるしかなかった。うまくいったのは結果論だ。

 

―当時は日航と全日本空輸で国際線を一本化する案も浮上していました。

  政権内で「日航はつぶしてしまえ」という意見はあったが、私はかたくなに反論した。1社だけでは運賃が高く設定されてしまう。競争があってこそ運質は一定に維持される。2社体制は必要だと主張した。

 

■転換のときだった

 ―国交相に就任する前から航空分野に関心を持っていたそうですね。

  民主党の「次の内閣」で、私は「次の国交相」だった。航空政策や公共事業の見直しを勉強してきた。航空では羽田の国際化を進めたかった。人口が減るなかで訪日外国人観光客をどう増やすかも考えていた。

 首都圏の空は国内線は羽田、国際線が成田と分かれていることが足を引っ張っていた。日本の地方空港から韓国の仁川に飛ぶ便が増え、仁川で乗り換えて海外に行く人が伸びた。ちょうど羽田の4本目の滑走路が使えるようになり、国際線は年9千回から3万回に増える方針だったが、最終的には3倍の9万回にするんだ、欧米便を飛ばすんだと主張した。羽田の国際化が進んだことで成田も危機感を持った。こちらが頭を下げたわけでもないのに、国際線の発着枠を増やすと決めてくれた。

 

―関西空港の経営改革にも着手しました。 

 ドル箱の伊丹空港と関空を一体とみなし、所有権は国が持ったまま運営する権利を売却する案を、竹中平蔵さんから紹介された専門家が出してくれた。売却は国交相退任後だったが、大阪府の橋下徹知事(当時)が他の自治体を説得してくれて売却ができた。

 

―日航の破綻をきっかけに、航空業界や航空行政は様変わりしました。

 転換の時だった。政権交代したからできたこともある。日航だけでなく航空会社の改革も進めた。全日空にLCCをやってくれと頼んだ。海外でLCCが登場し、日本にも飛び始めて危機感があった。当時は客が奪われるという心配があったが、グループ全体として乗客が増えるのは良いと決断してくれた。(聞き手=高橋尚之)

<出典:朝日新聞DIGITAL https://www.asahi.com/articles/ASN1Q52PXN1QULFA00Q.html >

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