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◆「議員に聞く」 特集:日本の危機管理−課題と展望(財団法人尾崎行雄記念財団刊『世界と議会』2006年7月号)
―政府は、この十年、「内閣情報集約センター」、「内閣危機管理監」、安全保障・危機管理担当の「内閣官房副長官補」といったポストを新設し、急速に危機管理システムを構築してきているように思います。このような政府の取り組みについて、どのように評価されますか。
こうしたポストは、もちろん全く無いよりはあったほうがいいわけですが、危機管理で何が重要かというと、省庁の縦割りを打破していくことだと思うんです。
例えば一昨年の二月、京都丹波町で鳥インフルエンザに感染した鶏が大量死し、大量死の最中に鶏や卵の出荷を続けていたという事件がありました。この感染で約二十四万羽の鶏が処分されたわけですが、我々が一番心配したのは、鳥インフルエンザが変異をして、鳥から人にうつるようになることです。
このとき、政府はどういう対応をしたかというと、農林水産省は、鳥の所管であって人への感染は所管外であるといい、厚生労働省は、鶏が感染している段階では、厚生労働省の所管ではないというわけです。
一九一八年のスペイン風邪の大流行の際には、世界中で四千万人以上の人間が死にました。そういうことがあったのにもかかわらず、野球でいえばポテン・ヒットのように、省庁がお見合いをして、ボールが地面に落ちてしまっているわけです。実はそれが、危機管理の実態だろうと思います。鳥インフルエンザの際にうまく対処できるようになったのは、対策本部が作られて省庁の総合調整ができるようになった後です。
危機管理は、事が起きた後では遅くて、日ごろからの総合調整が重要です。そういった意味で、今挙げられたポストは、各省庁の縦割りをそのまま反映していて、総合調整が効きにくい仕組みになっています。我々が、危機管理庁(FEMA)の設立を、緊急事態基本法案の中で訴えているのは、まさに平時の総合調整が重要であるからです。
−情報を集約させ、総合的な判断を迅速に行なうというのが、これらのポストを新設した趣旨だと思うのですが、実態はそうなっていないということですね。
そうです。内閣危機管理監は警察庁、内閣官房副長官補は、防衛庁のポストですし、そのスタッフも各省庁からの寄せ集めで、腰掛け人事が行なわれている。つまり、ある一定期間が経つと、警察庁、防衛庁、外務省など出身省庁に帰っていく。だから、いずれ帰る本省・本庁を向いて、それぞれ仕事をしているわけです。ですので、危機管理庁をつくり、片道切符で来てもらって、そこでキャリアを積んでいってもらって、役人としての職務を全うしてもらうということが必要だと思います。
それと、平時の総合調整と同時に、地方自治体との連携をとるためには、こういう省庁横断的な組織が必要だと思います。
−地方自治体との連携という点では、昨年、国民保護法ができたことで、政府は、これで有事の際の自治体・民間・政府の間の協力の枠組みはできたとしています。
確かに枠組みはできましたし、それ以前は全く無かったわけですから、そういう意味では大きな進歩です。ただ、我々の危機管理庁案のように、地方組織をつくって、平時の調整を地方自治体とやるという仕組みには、なっていないので、今の国民保護法制では、なかなか機能しないのではないかと思います。
―今の枠組みの中で、総理大臣や対策本部、危機に対して各自治体が、迅速に対応していくためには、何が必要なのでしょうか。また、国民保護法が想定していないような危機にもきちんと対応できるのでしょうか。
法律を作って、どういう運用をしていくかは、国にも責務がありますが、地方自治体にもあるわけです。我々が国民保護法の審議の中で修正を求めたのは、国民保護法制下で地方自治体が訓練をするときには、国がその費用を負担すべきであるということです。
危機に対しては、常日ごろから万が一に備えることが重要で、例えば、鳥取県のように図上演習を行なっているところと、まったくそういうことを行なっていないところでは、実際の危機の際には、雲泥の差が出るのではないかと思います。訓練費用は国が負担するという民主党の修正要求は、結局取り入れられたわけですから、ぜひ地方自治体は積極的に訓練をしていただきたいと思っています。
日ごろからそういう訓練・備えを十分していれば、鳥インフルエンザ、テロ、大規模自然災害、大規模事故など、思いもかけない大規模な事件・事故が起こっても応用が効くわけです。仮に、FEMAのような仕組みができても、地方が国におんぶに抱っこでは、危機が起きたときには、対応できないと思います。避難などを考えると、地方によって特性があります。どうやって避難するかは、地形や道路の整備状況などによって異なってくるわけです。ですので、地方自治体の責務は大きいのではないかと思います。
―FEMAのような新たな省庁を作るということは、行政改革の流れに反するという批判があります。
我々の案は既成の組織を統合して、危機管理庁を作るということです。総務省や消防庁など、各省庁から人を集めてきて、トータルとしては人の増えない案を作っています。そう意味では、行革に反するという批判は当たらないと思います。しかし、平素よりの総合調整が、危機管理の上で必要だというのであれば、仮に人が増えたとしても、それは必要な人員増加だと思います。「夜警国家」という考え方でも、危機管理は、まさに国家のミニマム・サービス(最低限のサービス)とされているわけですから、その点をしっかりやるというのは、行政・政治の責務として当然のことだと思います。
―アメリカのFEMAはハリケーン・カトリーナの災害のときに、迅速に対応できなかったと批判されました。
アメリカのFEMAをそっくりそのまま持ってこようというわけではありません。九・一一以降、FEMAは、国土安全保障省という巨大な役所に統合されて、CIAなどと一緒になってしまった。その中で、FEMAは埋没してしまいました。我々は内閣府の元に置こうというわけで、むしろ、カナダなどのモデルに近いわけです。あとは、先ほど申し上げましたとおり、いい組織を作っても、いかに地域の機動性を確保するかが重要になってきます。
―緊急事態基本法案では、「国家緊急事態対処会議」の新設を盛り込んでいますが、現在でも、「安全保障会議」というものがあります。それとどのように異なるのでしょうか。
今ある安全保障会議というものは、大臣の会議体であって、恒常的に危機管理について話し合うような場ではありません。私は、これまでに各国を視察に行きましたが、他国は国家の安全保障や治安に関することは、毎朝、ブリーフィングや、省庁間で意見交換・情報交換をしているんですね。そういう場が必要だということと、緊急事態が発生したときに、迅速に意思決定する必要がある。そうしたことから、首相を議長として、官房長官、外務大臣、防衛庁長官など、少人数の閣僚で判断し、意思決定できるような会議を想定しています。
―結局「緊急事態基本法案」は、昨年、自民・公明・民主の間で法案提出について、合意があったにもかかわらず、今国会での提出を政府は見送りました。
結局、官僚機構が反対したら、政党間の約束でも反故にされるということです。つまり、自民・公明両党とも官僚のコントロール下にあるということが白日の下に晒されたということだと思います。今後も、法案の提出を政府に求めていきますが、妥協に妥協を重ねて、危機管理が担保されないようなことになるよりは、これはやはり政権交代によって、しっかりとした危機管理の仕組みを作るしかないと思っています。
―民主党は、国家緊急権を憲法上明示すべきだと主張していますが、現行憲法の規定では、なぜだめなのでしょうか。
有事法制を作るうえで、我々が一番困ったのは、憲法との整合性です。現行憲法は平時のみを想定して、有事を想定していないんです。多くの国が、憲法に有事の場合と平時の場合の二つのボタンを用意していて、一方のボタンが押されると違う法体系に移ることにしているんです。有事の場合、主権の制限がその時点で生じるということにしなければ、今回の有事法制のように、国民のまさに「協力による」というものしかできなくて、有事が起きたときに、本当に協力が得られるかどうかわからない、ひいては、うまく危機に対処できるかどうかも定かではない、そういうものしか作れなくなってしまうわけです。
ですから、国家緊急権を明示することが必要だと考えています。我々が緊急事態基本法を作るべきだという大きな理由もそこにありまして、憲法上に有事や緊急事態を想定した条文が無い以上、憲法の下に基本法がいるのではないかと。その基本法の下に、個別法である、有事法制とか国民保護法制といった具体的な法律を置くということが必要ではないかということです。
―有事や緊急事態を口実に、国民の権利や自由が国家により侵害されるのではないかという懸念もあります。そうした懸念を払拭する上で、国民の代表者からなる国会の関与が十分かどうかが問われるかと思うのですが、この点は大丈夫なのでしょうか。
我々が有事法制の修正協議の中で、一番求めたのは、まさに国会の関与でして、その点は担保されるようになったので、大丈夫だと思います。一方考えなければならないのは、国民の権利・自由について、「公共の福祉」による制約を憲法は認めていることです。例えば、収用法というのもありますし、道路を作るので、家を立ち退いてください、土地を提供してくださいということが許されているわけです。そういう観点からすると、何を公共の福祉にするか、どのような場合に主権の制限がかけられるのかといった、トータルな議論が必要だと思います。
(取材日:二〇〇六年六月十六日)
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