プロフィール記事・論文活動写真館国政報告会行事のお知らせ議事録リンク開票結果直球勝負!質問主意書
第42回衆議院議員総選挙

◆似て非なる日本と中国 訪中レポート 1/2

平成12年(2000年)9月11日から14日までの日程で「未来政治研究会」の国会議員有志12名が中国を訪問した。この訪中が朱鎔基総理のお招きによって実現したものであり、短い日程にもかかわらず朱総理を始めとする中国要人との会合が数多く組まれ、密度の濃い訪問となった。
これは、まえはら誠司がその一員として参加した時のレポートである。

※「未来政治研究会」とは、松下政経塾出身の国会議員が集まった超党派の政策集団であり、現在 衆議院議員20名と参議院議員1名の計21名で構成されている。

「似て非なる日本と中国」

私が初めて中国を訪れたのは、松下政経塾在塾中の1989年だった、8月末から約2ヶ月間、香港から深州に入り、東莞、広州、厦門、上海、青島、北京、ハルビン、大連の各都市を回った。

1966年から約10年間続いた文化大革命による経済の崩壊から立て直しを図るため、ケ小平は積極的な外資の導入を目的とした「改革・開放」路線を、1978年12月より採用した。当初は4つの経済特区が指定されたが、後に経済開発区も含め14都市と海南島(後に省)に拡大していった。従って1989年当時は、天安門事件の影響による一時的な減速はあったものの、改革・開放政策の真っ只中だった。

私の訪中の目的は、そのような状況下において、日本や台湾から進出した企業の成否、問題点などを調べることで、今後、中国ビジネスをしたいと考える後発企業に、少しでも参考になる提案が出来ればというものだった。大学のゼミ論文も『中国の現代化』であり、私は相当、中国に対する憧れと思い入れがあったのだろう。実際、中国の象徴といわれる天安門を初めて車の中から目にした時、目頭が熱くなるほど感動したことをはっきりと覚えている。

 その後、10数回、中国を訪れているが、慣れもあるだろうが、憧れや好きという意識は次第に薄れ、日本にとって重要な国だからという気持ちで度々訪れるようになった。

 訪中を重ねる度に思うことがある。それは日本人と中国人は似て非なるものではないかということだ。顔が似ていたり、漢字という同じ記号を使うとか、あるいは箸を使って食事をするといった共通性から、とにかく中国と日本は似ていると勝手に思い込んでしまっているのではないだろうか。道徳観や倫理観、お金に対する感覚や感情の吐露の仕方、数え出せばきりがないほど違いが浮かび上がってくる.。とにかく、「違う国なんだ」という当たり前の感覚を念頭において中国とは付き合うべきだと、私はつくづく思う。

 よく「日中友好」という言葉を使うが、上辺だけの形容詞なら使わない方が良い。お互いが自らの国益を考えて行動するから、当然のこととして対立する。文句も言い合う。しかし、北東アジアのみならず、アジア・太平洋地域の安定のために、日中が少なくとも対立していないことは大変重要だ。