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◆「領土」二島返還論は誤ったイメージ(雑誌「選択」2001年4月号
WASHINGTON-TOKYO)1/2
先日あるニュースを見て、私はとても情けない思いになりました。それは、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)に拉致されたとされる横田めぐみさんのご両親達がアメリカを訪れ、米政府や人権団体などに、拉致問題解決への協力を要請したことです。日本政府に期待しても仕方がないと思われたのか、あるいは、北朝鮮に対する影響力の強いアメリカにも働きかけたほうがより効果的だとおもわれたのかは定かではありません。事実、北朝鮮は軍事的なアクションを念頭におく必要のない日本よりも、その可能性のあるアメリカの要請に、より真剣に耳を傾けるでしょう。
ただ、日本の国会議員の一員として、自国民の生命・財産を一義的に守らねばならない使命を持ちながら、それを未だ叶えることができず、同盟国とはいえ、他国に頼まざるをえない状況を作り出した責任を痛感しました。
唯一救われた思いがしたのは、一行が面会したハバード国務次官補が「北朝鮮をテロ国家から指定解除する予定はない。安否確認を求めていく」と応じてくれたことでした。私はここに、同盟国としての絆を改めて強く感じ取りました。同盟関係の強化、深化は案外、このような同盟国に対する配慮の積み重ねにあるのかもしれません。
ブッシュ政権がスタートし、日本との同盟関係をより強化したいとの表明がなされています。日本にとって、基本的に好ましい提案ですが、日本が果たさなければならない同盟国としての役割も当然大きくなります。その具体的な内容は追い追いこの書簡で議論することとして、同盟国として考慮すべき「相手国の外交問題」、今回は具体的に日本の外交問題の一つである北方領土を取り上げ、アメリカの理解と協力を求めたいと思います。
日本はロシアと領土問題を抱えています。つまり歯舞(諸島)、色丹、国後、択捉の四島で北方領土と呼ばれ、いまだかつて一度も外国の領土になったことはありません。一八五五年に日露和親条約が締結され、択捉島とウルップ島の間に国境線を引くことが初めて確認されました。以後一八七五年の千島・樺太交換条約や、日露戦争の調和条約として結ばれた一九〇五年のポーツマス条約で国境線の変更はあったものの、この四島は一貫して日本の領土であり続けました。
一九四五年八月八日(終戦の6日前)にソ連は日ソ中立条約を一方的に破棄し、日本に宣戦布告しました。八月十八日に千島列島への侵略を開始し、九月五日までに千島列島および北方領土をすべて占領しました。五一年に日本が連合軍と結んだサンフランシスコ講和条約(ソ連は署名を拒否)には、日本が千島列島の権利、権原および請求権を放棄するとされていますが、四島がいまだかつて他国の領土となったことがないことや、一八七五年に日露間で締結した千島・樺太交換条約の「千島」が四島を除いた諸島を指していたことからも判るように、北方領土は明らかに日本の固有の領土です。サンフランシスコ平和会議において、吉田茂全権もこの点について明確に発言をしています。
「僕の使命は日ソ交渉と憲法改正にある」として、五四年に誕生した鳩山一郎内閣は日ソ関係の正常化を目指します。「向米一辺倒」だった吉田茂内閣を批判して鳩山内閣が誕生したことと、日米関係に楔を打ち込みたいというソ連の思惑が合致し、日ソ交渉が始まりますが、四島の帰属問題で難航します。結局、五六年十月に日ソ共同宣言を調印しますが、戦争状態の終結と国交の回復、そしてシベリアに抑留されていた日本人の即時返還などの合意にとどまり、北方領土に関しては「歯舞、色丹を日本に引き渡すことに同意する。ただし日ソ間の平和条約が締結されたあとに現実に引き渡されるものとする」とされました。

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