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2003年11月「外交・安保政策のコペルニクス的転回」(朝日新聞社刊『論座』2003年11月号)◆
「外交・安保政策のコペルニクス的転回」
〜求められる日本の主体性
「日本のネオコン」とも呼ばれ、「専守防衛・集団的自衛権見直し」を
求める声明を出した超党派の若手議員の会などでも活動する前原氏。
有事法制審議といった現実政治でも役割を果たしている四十一歳は、
戦略思考に基づいた政策転換を提言している。
○コペルニクス的転回の意味
十年を超える国会活動を通じて、この国の外交・安保政策が実は空洞だと、つくづく思い知らされている。空洞とは言いすぎで、外務省も防衛庁もそれぞれ仕事をしてきたと、ご批判を頂くかもしれない。なるほど、それぞれの役所は役割を持っている。だが、十年先、二十年先、いや五十年先を見越した、国家としての外交戦略なり
あるいは、防衛面のみに限らない食料やエネルギーの確保といった、国家が存続をしていく上で死活的な国家戦略を、総合的な見地から「かくあるべし」と描き出している組織が日本にはあるだろうか。恐ろしいことに、日本にはそういった組織がない。いや、ないのではなく、本来、そういった機能を各省庁間の調整も含めて行うべき首相官邸や内閣府に、それを行う「意志」が欠如しているのである。
例えば、食糧問題。現在、食料自給率はカロリーベースで約四〇%である。世界の人口は約六十億人で、毎年一億人程度、人口が増えている。このまま行くと、二〇五〇年には世界の人口は百億人を超えるかもしれない。しかし、世界にはそれだけの人口を食べさせるだけの増産余力があるだろうか。また、海外産には残留農薬や遺伝子組み換え食品などの不安も付きまとう。それを考えれば、少なくとも国内の自給率を、例えば規制緩和で株式会社参入を促すといった方法で高めるとともに、中国が行っているように、ブラジルやアルゼンチン、オーストラリアといった国の土地を買うなり借りるなりして、農業生産の基盤を海外に確保するといった発想は不可欠だ。そこから、国内政策の方向性と、どこの国と密接な関係を保っておくのかという外交戦略が生まれる。
翻って、現状はどうか。農林水産省は国内農水産業の保護に汲々とし、新たな攻めの展開を示していない。そもそも巨額の農業土木費を毎年使いながら、結果として自給率が低下している。経営としては大失敗である。所詮、各役所に任せるとこうならざるを得ない。自分の所掌の範囲でしか仕事はできないからである。外務省には総合外交政策局があるが、ではこの局が外交全般のグランドデザインを描けているかといえばそうではない。いや、描けないのである。例えば、アメリカとの窓口は北米局が行っており、その役割を超えて総合外交政策局は日本外交の柱である日米関係に足を踏み入れることができない。しかし、この北米局にしても、日米関係できわめて重要な経済・金融・防衛には関与できない。それぞれ、経済産業省、金融庁、防衛庁があるからだ。このように、日本の行政はモザイクの寄せ集めから成り立っているのである。
日本の停滞の大きな原因の一つは、各省庁の縦割り機能の総合体として行政サービスがバラバラに行われ(=天動説)、対症療法的な行政は行われているが、激変する世界環境に対応すべき明確な方向性が描ききれていないところにある。今、焦眉の急として日本に求められるのは、戦略思考を行う意志と、戦略立案機能を持つ組織を首相の直属の機関として持ち(=地動説)、その戦略構想と強力なリーダーシップに基づいて各省庁や行政組織がその役割を果たしていくという、政策実現のコペルニクス的転回なのである。
○危機管理・安全保障面からの憲法改正ニーズ
国家が戦略目標を立てる大きな項目としては、防衛面での安全保障、食料・エネルギーの確保、産業競争力強化、教育レベルの維持・向上、人口動態の目標設定、地球環境への取り組みなどが考えられる。
防衛面での安全保障の大目標は、何といっても戦争の回避、平和の維持であるが、他国から急迫不正の侵害を万が一、受けた場合など、緊急事態に対応するための法整備や基盤的防衛力整備は、国民の生命と財産を守り、国家の主権を維持するために、国家が行うべき最低限の責務として、常に準備されていなければならない。このような、万が一に備えた態勢は、本来、戦略目標を立てる以前の問題ではあるが、わが国は、特に法整備などソフトの面で、最低限の備えがいまだになされていない。
有事法制は、先の国会でようやく成立に至ったが、国民保護法制や米軍が協力する際の法律、捕虜の取り扱いに関する法律など、今後の課題も多い。改めて言うまでもないが、有事法制は未来永劫、使われないことがもっとも望ましい。この法律に反対する人たちは、これで日本も戦争ができる国家になるのではないかという危惧の念を抱いているが、有事法制があろうがなかろうが、日本が戦争に巻き込まれる可能性はゼロではない。有事法制とは、あくまでも万が一、日本が戦争に巻き込まれた場合でも、法治国家として法律に基づいた行動を国家に求める根拠にすぎない。有事法制の有無にかかわりなく、戦争を回避するための外交努力が、最大限行われるべきであることは当然である。
ただ、今回の有事法制の議論を通じて、根本的に問題だと感じたのは、日本国憲法に有事など緊急事態に関する取り決めが全くないことである。民主党として、緊急事態に関する基本法の必要性を訴えたのも、その点に理由がある。現行憲法を前提とすれば少なくとも基本法は不可欠であり、そもそものあるべき論としては、憲法に有事などに関する緊急事態における国としての構えが書かれていることが望ましい。
なぜなら、平時と有事で、守られるべき国民の権利と自由、果たさなければならない義務が全く変わらないということがありえないからである。国家の主権が脅かされている時に、通常の権利・義務関係を前提とするというのは、どう考えても無理がある。しかし、憲法に有事など緊急事態の規定がない以上は、「公共の福祉」に関する解釈の違いは持たせられても、基本的には同じとの論理的な帰結にならざるを得ない。
他国の憲法でも、調べてみた限りにおいては有事など緊急事態の取り決めは憲法に明記されている。日本国憲法は、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意」している、つまり、二度と戦争を起こさない決意であるがゆえに有事に関する規定がないという論理立てになっている。「戦争を起こさない」決意はきわめて重要だが、不幸にして「戦争が起きる」可能性まで、「決意」という精神論では排除できない。従って、憲法改正によって有事などの緊急事態における国と国民との関係を新たに規定し、財産権などは、補償を前提に、より制約されることが明記されるべきである。
他にも憲法を改正すべき理由は挙げられる。国家の自然権である自衛権が明文化されていないことも、その一つだ。このことによって、集団的自衛権やマイナー自衛権の行使が制約されている。
マイナー自衛権とは、任務を遂行している自衛隊そのものの自衛権を意味する。現在、内閣法制局はマイナー自衛権を憲法解釈上認めていない。従って、有事に至るまでの緊急事態には警察官職務執行法の準用、つまり基本的には正当防衛と緊急避難においてのみ、武器の使用は認められる。しかし、この解釈に忠実に従えば、現在、想定されうるわが国への危機に十分対応することができない。例えば、自衛隊法八四条には領空侵犯に対処する際の規定が書かれているが、まさに領空を侵犯されて初めて対処できる解釈に立っており、それまではスクランブル発進をして警告を行うことしかできない。仮にハイジャックされた航空機に核などの大量破壊兵器が積まれていれば、領空が侵犯されてから対処したのでは遅すぎる。領空侵犯される前に対処しようと思えば、マイナー自衛権を認めることが必要となる。
○戦略目標としての日米同盟関係のあり方
現在、想定されうるわが国の危機に、自衛隊だけで対処できるかと言えば、その答えはノーである。核抑止のみならず強大な軍事力を背景とした抑止力、広範な情報収集力、そして第二撃を回避するために攻撃を仕掛けている国に対して行われる報復、攻撃能力(パワープロジェクション能力)などは、圧倒的な軍事力を誇る同盟国・アメリカに頼らざるを得ない。
安全保障面での戦略目標を立てる際、いくつかの方向性が考えられる。非武装中立、武装中立(自主防衛路線)、アメリカ以外の国との軍事同盟、集団安全保障体制への移行などが挙げられる。
非武装を選択すれば、日本の脆弱性が著しく増加することとなり、投資対象としての価値、あるいは通貨や国債の価値は大きく下落することは目に見えている。経済活動に大きな悪影響が生ずることは避けられない。また、瀬戸際外交を行い、拉致などの主権侵害を繰り返してきた北朝鮮といった国に、さらに付け入る隙を与えることにもなる。
自主防衛に関して、現在、アメリカとの同盟関係で享受している軍事レベルを維持しようとすれば、情報収集能力の向上や兵器開発・配備などに莫大な費用と時間がかかることを覚悟しなければならない。日本が抱える巨額の財政赤字と使われるべき予算の優先順位を考えた場合、精神論としては理解できても、非現実的だと断ぜざるを得ない。
アメリカ以外の国との同盟関係で、よく言及されるのは中国だが、それぞれが抱く「中国観」によって、その答えは二分されるだろう。そもそも同盟関係には、国が拠って立つ価値観の共有が不可欠と考えるが、国家体制、民主主義、人権や自由に対する考え方において、わが国と中国はかなり異なっている。また、中華思想を有する国が他国と対等な同盟関係を結ぶか、そもそも疑問である。隣国・中国との良好な関係は日本の国益に資することは間違いないが、同盟を結ぶ状況には現時点ではないと考える。
地域的な集団安全保障体制は目指していくべきだと考える。また、その方向に日本は指導力を発揮すべきである。その際、留意しなければならないのは、単なる概念ではなく強制力を伴うものなのか、現実に機能するものかという検証である。また、それに移行する過程において、「力の空白」は許されない。これらの点を考えると、後述するように圧倒的な軍事力と地域の警察官として活動する意志を有するアメリカの、この地域におけるプレゼンスは必要だと考える。従って、アジア・太平洋地域における集団安全保障体制は日米の同盟関係を拡大する観点から取り組むべきである。
現実には、日本の安全保障体制を維持・充実させていこうと考えれば、日米同盟関係を維持し、どのように発展させるかという観点に立たざるを得ない。繰り返しになるが、将来的な地域集団安全保障体制は追求していくにしても、そのベースには強固な日米同盟関係の存在が大前提となる。
○ブッシュ・ドクトリンに対するアプローチ
ただ、現状の日米関係で良いかというとそうではない。様々な問題が横たわっている。その大きな一つがアメリカの国家安全保障政策に対する評価と対応である。
昨年九月、アメリカはブッシュ・ドクトリンと呼ばれる国家安全保障戦略を発表した。この考え方の基本になっているのは脅威認識の変化である。今やアメリカに対して面と向かって宣戦布告し、攻撃を仕掛ける国はなくなった。しかし、アメリカに反発する国々がテロ組織に資金や兵器を横流しし、間接的にアメリカに攻撃を仕掛ける可能性が増えてきた。しかも、核や生物・化学兵器といった大量破壊兵器が蔓延し、射程がより長くなったミサイルも開発され、拡散している。そういったアメリカの脅威認識を決定づけたのが、二〇〇一年九月十一日に起きた同時多発テロだった。このテロで大量破壊兵器が使われなかったのは不幸中の幸いだったが、今後、その可能性は否定できない。
ブッシュ・ドクトリンでは、その脅威認識に立って、必要であればテロ支援国家などを「先制攻撃」する必要性を打ち出している。大量破壊兵器が使われる前提に立てば、やられてからやり返すのでは遅い。その予兆を把握して、その芽を摘むには「先制攻撃」も辞さないというのがアメリカの新たな論理だ。
心情的に理屈はわからない訳ではない。しかし、国際的に認知された考え方でないことも明らかだ。現在の国際法は、原則として他国を攻撃することは許しておらず、例外として自衛権の行使と武力行使を認める国連安保理決議の存在を認めているだけである。何よりも、先制攻撃は恣意的に行われる可能性がある。どういった情報に基づいて判断するかもアメリカ次第だ。イラクへの攻撃は大量破壊兵器に関するイラクの国連決議違反だというのがアメリカやイギリスの説明だったはずだが、現時点では見つかっていない。また、両国では大量破壊兵器に関する情報が操作、あるいは誇張されたのではないかという疑惑が浮上している。
さらに、アメリカやイギリスをはじめ、国連の常任理事国はすべて核保有国、つまり大量破壊兵器保有国である。自分たちが持っていることは善で、他国が持つのは悪だというのは、ご都合主義との批判を免れない。
従って、アメリカは「先制攻撃論」の国際社会での理解を得るために、説明責任を果たすべきである。当然、国際社会が一致してこの考え方を受け入れるとは考えられない。自らが標的になっているのではないかと考える国は、認めるはずがないからだ。にもかかわらず、アメリカは良識ある国家が賛同するよう努力を惜しむべきではない。アメリカは世界中の他の国が束になってもかなわないような超軍事大国であり、「世界の警察官」という役回りを果たせるのはアメリカだけである。そのような国が「自分はこう決めたから他国も従え」という態度をとることは、アメリカの「力の支配」に対する反発を生み、孤立化を招く。
日本は単にアメリカの行動に対して無批判に追従するのではなく、「超軍事大国であるがゆえに国際社会から理解されるよう、汗をかくことの必要性」を同盟国として諭すべきである。また、そうでないと、わが国の中でもアメリカの身勝手さ、傲慢さへの反発が高まり、安全保障面では不可欠の同盟関係が、国民の理解を得られずに崩壊することにもつながりかねない。
○国連改革と新たな国際協調体制の構築
アメリカに限らず、どの国にも国際協調が求められることは当然だが、国際協調主義と国連中心主義は同義ではない。それは、国連の現状を的確に把握し、問題点を浮かび上がらせるところからスタートさせなければならない。
国際連合というと無条件に良いものと考えがちであるが、英語での正式名称はUNITED NATIONSであり、これは第二次世界大戦時の枢軸国に対した連合国の呼び方である。つまり、戦勝国側の名称がそのまま使用されているように、国連は戦勝国が戦後の国際社会をリードする意志に基づいてスタートし、その形が今でも強く残っている。現に日本を対象とした旧敵国条項が、空文化しているとはいえ国連憲章に三個所も残っている。また、拒否権を行使できる安全保障理事会の常任理事国すべてが戦勝国で占められている(中国に関しては、中華民国から中華人民共和国への変更はあった)。現在、日本の国連への拠出・分担金は全体の約二割、アメリカに次いで世界第二位だが、未だ常任理事国の仲間入りは果たせていない。それに対して中国は、常任理事国であるにもかかわらず国連への拠出金は全体の一%にも満たない。
不平等、悪平等は他のところにも見受けられる。どんなに人口の多い国であろうが少ない国であろうが、一国一票の原則であるがゆえに、国連の決定は世界の力関係を反映したものにならない。それには片目を瞑るにしても、理念なき、機械的な物事の決定には目を覆うばかりだ。例えば、国連人権委員会の現在の議長国はリビアである。最高責任者カダフィ大佐が国内で人権を軽視する政治を行い、また一九八八年に英スコットランド上空で起きた、計二百七十人の尊い人命を奪ったパンナム機爆破事件の国家としての責任を認めた、あのリビアが、である。
だからといって、国連を軽視していいというつもりはない。少なくとも国連を絶対視し、現実の国際政治のパワーゲームに目を背けて、「国連中心」というお題目を唱えていればそれでいいという、無責任な思考停止に陥ってはいけないということをいいたいのだ。従って、国連拠出・分担金の約五分の一を負担しているわが国が、安保理常任理事国入りする意志をしっかりと持ち、実現するような働きかけを精力的に行わなければならない。また、様々な問題を正していくため、国連改革の必要性をあらゆる機会をとらえ、訴え続けなければならない。
同時に、現実に機能する新たな国際協調体制の枠組み作りと、それを実際に機能させるための努力も行わなければならない。具体的には、主要国首脳会議(いわゆるサミット)の更なる活用と活性化、あるいは、どちらかといえば経済問題に重きが置かれているAPECの政治・安全保障問題のテーマ化など、いい知恵は色々と出てくるはずだ。また、価値観、問題意識を共有する国々が、その時々に集まって、諸課題に対応する議論も精力的に行っていくべきだ。このような多様な動きが国連の危機感を促し、国連の自己改革へのエネルギーとなることも期待できる。
○日本の自立と日米同盟関係の再構築
戦略目標の観点からも、日米同盟関係は維持・発展させるべきだが、現在の関係が健全だとは思わない。あまりにも、日本の防衛体制はアメリカに依存しすぎている。日本も、ようやく情報収集のための衛星を打ち上げるとはいえ、たかだか四基であり、分解能力もアメリカに比べれば劣る。自前の情報収集能力を強化するために、日本独自で情報収集を行う組織が必要であり、同時に外交機密費は、基本的に人づての情報収集に使われてこそ、その意義を見出すことができる。
「盾」と「矛」の役割分担で、日本は「盾」に特化し、敵国に対する「矛」の役割、つまりパワープロジェクション能力はアメリカに委ねてきたが、ソ連の崩壊とともに大規模着上陸型の侵攻の可能性が著しく減少し、代わってテロやゲリラ、ミサイルによる攻撃の可能性が相対的に高まっている。脅威の質が変われば専守防衛の中身も変化するのは当然であり、必要最小限、自分の国は自分で守れる体制を構築するために、ミサイル防衛網の整備とともに、敵がまさに日本攻撃に着手した場合に相手国のミサイルの無力化、あるいは報復を目的としたパワープロジェクション能力を、トマホークの配備や戦闘機に対地攻撃能力を総合的に持たせることなどにより、ある程度は日本も持つべきだと考える。その際、日米間で役割分担の見直しに関する戦略対話がしっかりと行われることが前提となる。
イラク攻撃が行われる前、イギリス国内でも慎重論が広がったが、ラムズフェルド米国防長官は「イギリスの力を借りなくても、アメリカだけでイラク攻撃はできる」と発言して物議をかもした。明らかな失言だが、アメリカの本音をあらわした言葉でもある。それほど、アメリカの軍事力は強大なものになり、同盟国間の力の格差は開いていくばかりだ。それに伴い、同盟関係の質も当然、変化していく。ソ連・共産主義という共通の敵がなくなった今、アメリカはテロの掃討・封じ込めと、力を背景とした平和構築に同盟国・友好国の参加を求めている。
中長期的な視点に立てば、基地の提供だけで非対称的な日米同盟関係が維持できるとは思えない。RMA(軍事革命)、主に輸送手段の革命によって、米軍が今ほど前方展開が必要でなくなる可能性は高い。また、大国・中国の成長・発展により、好むと好まざるとにかかわらず、アメリカのアジアにおける戦略対話の重心は中国に移っていくことも不可避だろう。
日本に求められるのは、経済の停滞に一刻も早く終止符を打ち、経済力を高める中で、その戦略的な価値を維持し続けることと、主に基地の提供によってアメリカに与えてきた同盟関係の必要性を、違った付加価値をつけることにより高めることである。具体的には、日本の近隣から発射され、アメリカ本土やハワイ、グアムに到達する可能性のあるミサイルについては日本がインターセプトする役割を担うことや、遠隔地、特にマラッカ海峡、インド洋、ペルシャ湾などでは任せきりになっている海上交通(シーレーン)防衛を、日本もその一端を担うことなどである。現在の集団的自衛権の解釈では、これらを行うことは困難だ。憲法を改正し、集団的自衛権は単に保有するだけでなく、行使できる権利にしておくことが必要となる。
いずれにしても、日米両国は民主主義国家であり、それぞれの国民の理解なくして同盟関係の維持・発展はありえないことを、お互いが十分に認識すべきである。日本は、アメリカに国際協調を促し、説明責任を求めるとともに、自らの戦略目標をきっちり定めた上で、アメリカとの戦略対話に臨むことが求められる。同時に、日本が果たすべき役割も同盟関係をマネジメントする観点からしっかりと定め、国民に理解されるような説得力が必要となる。そのためにも、常に国家が戦略目標を主要な分野で立て、それに基づいて行動するという政策決定・実行のコペルニクス的転回が不可欠なのである。 |