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◆ 2000年10月「緊急事態法制を整備せよ」(PHP社刊『Voice』2000年10月号)◆

日米韓三国の協力図式は崩れた

去る七月の下旬、日本と大韓民国(以下、韓国)双方で合計二十余名の政治家・学者・研究者・マスコミ関係者がソウルに集まり、ある国際会議が開かれた。六月中旬に平壌で行なわれた歴史的な南北首脳会談後の朝鮮半島情勢、アジア・太平洋を取り巻く環境の変化について意見交換することが目的で、私も参加した。

ソウルでは予想どおり、いや予想以上に朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)に対する見方の劇的な好転、とくに指導者である金正日総書記(以下、金総書記)の肯定的な評価を目の当たりにする。

「直前まで実際は現れないと思っていたが、金総書記はほんとうに表舞台に現れ、肉声を聞くことができた」
「分断後初めて南北のトップ同士が握手し、抱き合い、語り合い、民族の統一に向かって努力することを確認しあった」
「金総書記は雄弁だった。彼はほんとうはできる男で、北朝鮮を実効支配している指導者だったのだ」

韓国では金総書記のマスコット人形が出回り、多くのマスコミは、いままでは非難・警戒の対象であった金総書記を評価しはじめた。学生の一部には、早くも在韓米軍の撤退を求める運動を起こそうといった動きもある。当然、北朝鮮の変化を懐疑的に見ている人はいるものの、総じて歓迎ムードに包まれているといった印象を受けた。

同じ民族でありながら五十余年、分断国家として生きてきた南北の人たちの複雑な気持ちを、日本人で、ましてや日本による占領統治や朝鮮戦争の時代を知らない私がとうてい理解できるものではない。いずれにせよ、この会談によって離散家族の再会が実現し、戦争の可能性が低減し、何よりも朝鮮半島統一という悲願に向かって新たな第一歩を踏み出したことに対する韓国の人たちの期待と喜びは、きわめて大きいに違いない。

しかし、冷めた言い方をすれば、北朝鮮とその指導者である金総書記への期待値が低かったぶん(いままではマイナスだった)、表舞台への劇的な登場というパフォーマンスによって生じたギャップの大きさが、かえって過度の期待と歓迎ムードを生み出しているのではないだろうか。北朝鮮の元高官で、国外に亡命した人たちによって書かれたものを読むと、金総書記は軍部の力を背景に独裁的な実効支配をかねてから行なっており、一部、憶測されていたような、無能で、たんなる親の七光りの二世では、けっしてない。金日成国家主席存命中から、すでに政敵を放逐し、実権を掌握するに至っていたという説もある。手法の善し悪し、性格の好き嫌いは別として、もともと、ある意味で有能な指導者だったのだ。したがって「まとも」だったから称賛するというのはあてはまらない。

金総書記は個人崇拝と情報統制、あるいは恐怖政治によって北朝鮮を統治している。しかし約二千二百万人の人口に対して、約百六万人の軍隊を抱えていることからもわかるように、「軍事偏重・経済軽視」の政策ゆえに国の経済は完全に破綻している。多くの餓死者・病死者が毎年数十万人の単位で生まれているとの報道もある。いままでは核開発疑惑・ミサイル開発を、いわば「恫喝の道具」として利用し、かつての「血で固めた盟友」である中国以外では、日米韓などからなんとか細々と経済支援を得ていたが、それも限界に達しつつあった。

しかし、二○○○年に入ってイタリアやオーストラリアなどとの国交樹立、金総書記自らの隠密裏の中国訪問、ソ連時代を通じてロシアのトップが初めて北朝鮮を訪れたプーチン大統領の訪朝、そして南北首脳会談と、理由はともかくとして北朝鮮の外交方針、少なくとも外への見え方は大きく変わりつつある。

では、北朝鮮の考えが根本的に百八十度変わったのか。私は、本質は不変だと考えている。つまり、金総書記による独裁体制の堅持と、そのために必要な経済援助を他国から獲得するという大戦略は、まったく変わっていない。恫喝が疑念と摩擦をエスカレートさせて、とくにアメリカの逆鱗にふれた場合、結果としてギャンブルが過ぎて体制そのものが揺らぐ。そうなるよりも、戦術を変え、味方を増やしたうえで経済面での恩恵を受けるほうが得策と考えるに至ったとしてもまったく不思議ではない。

また、会談の副産物として、予想以上の韓国世論の盛り上がりが挙げられる。これを初めから予想していたとすれば、金総書記はたいした指導者だが、いずれにしてもこのことによって、日米韓三国が協力して北朝鮮にあたるといういままでの図式は完全に崩れたといっていいだろう。

これからは南北が一体となって、あるいは韓国が北朝鮮の意図を代弁して、日朝国交正常化交渉の促進、とくに植民地時代の補償、あるいは戦争賠償の支払いを強く求めてくる可能性もある。これに拉致問題、ミサイル問題などで日本が原則論を繰り返すと、北朝鮮のみならず韓国からも、日本批判の大合唱が聞こえてくるかもしれない。

さらに北朝鮮が日米の分断、つまりは日本を孤立化させるための方策を画策することも、十分、予想される。現に、金総書記は韓国のマスコミとの会見で、「アメリカとはテロ支援国家指定の解除があればすぐにでも国交を樹立する」と述べている。一方で、拉致問題を主要課題に掲げる日本に対しては「不当な解明を要求されている」と不快感を示し、日韓併合以降三十六年間の植民地支配の補償を求め、「主権国家の名誉と自尊心を曲げてまで日本と国交正常化は絶対しない」と述べ、日米間にニュアンスの違いをつけて揺さぶりを強めている。

金大中大統領はいまのところ、朝鮮半島統一後も米軍の駐留は必要だと述べているが、前述のとおり、南北の急速な接近によって韓国国内から在韓米軍撤退の機運が盛り上がる可能性もある。そのことは当然、在韓米軍の後方支援の役割も受け持つ在日米軍の存在意義そのものを再考させる環境を作り出すことになる。

南北は「和解」のテーブルについただけであり、即「統一」にはけっして至らない。なぜなら、南北に横たわる大きな経済的格差と、支えなければならない韓国経済の脆弱さ、さらには今回の会談がお互いの体制を維持・強化したいという利害で実現した「同床異夢の政治ショー」の色彩が強いだけに、統一に向けてのプロセスがたちまち、かつ具体的に煮詰まるとは考えられないからである。

しかし、金総書記が外交の表舞台で大国相手にいろいろな演技を行なうことによる大きな波紋が、日本にも及んできていることは事実だ。少なくとも「バスに乗り遅れるな」と拙速な判断を下したり、「日露平和条約締結は難しそうだから、代わりに日朝だ」などと、時の政権の点数稼ぎに利用することはけっしてあってはならない。あくまでも国益の視点に立ち、原則を曲げることなく、とくにアメリカと緊密な協議を行なうことにより、慎重に対処することが肝要だ。

また、今回の南北首脳会談では金大統領は言及しなかったが、韓国にも北朝鮮に拉致されたとされる「拉北者」が多数存在する。政府レベルだけではなく被害者の家族などの連携を日韓で強めることで、行方不明になっている人々の安否の確認と、返還を実現しなければならない。
同盟関係に甘えず主体性をもて

二○○一年一月から、新しいアメリカ大統領の四年間の任期が始まる。共和党、民主党のどちらが政権を担うにせよ、在日米軍の在り方が抜本的に見直されるのは不可避だと私は見ている。

日本ではおなじみのアーミテージ氏が最近よく言及しているのは、在日米軍、とくに沖縄に展開する兵力のドラスティックな削減である。彼は共和党のブレーンで、共和党政権ができれば国防政策の主要なポストに就くといわれているが、民主党が仮に政権を引き続き担うにせよ、大きな流れそのものは変わらないだろう。

こう考える第一の理由は、前述した朝鮮半島情勢の変化である。北朝鮮の意図はまったく変わっていないにしても、平和的なアプローチに転換したことは事実である。在韓米軍は北朝鮮の南進を抑止すると同時に、万一、戦闘が勃発したときには韓国の強力な助っ人になることが期待されてきた。しかし今回の南北首脳会談で、とくに韓国国民の意識のなかに大きな変化が生じている以上、部隊の再編による縮小を行なうことは、近い将来ないとは言い切れない。

今後の朝鮮半島における中国との主導権争いを考慮すれば、このような行動をとることにより、反米感情が沸き上がることを事前に鎮め、ポスト南北対立時代において主導的な立場をとるうえで、むしろ必要だと考えるかもしれない。そのような状況になれば、当然、沖縄に駐留する海兵隊の在り方にも大きく影響してくる。

別の理由として、アメリカの軍事技術の大きな進歩が挙げられる。まずは衛星による早期警戒監視能力の向上によって、兵力の緊急展開にゆとりが生まれるようになった。さらに、兵力を運搬する能力が飛躍的に向上することにより、必ずしも前方展開を前提としなくなり、事前集積(POMCUS)を十分に行なっておけば兵力のより後方での配備も可能になるし、またそれによって、前方展開兵力が高性能化したミサイルなどの攻撃に曝されるという脆弱性を薄めることも可能になる。

沖縄に米軍の施設・区域の七割以上が集中している日本にとって、マクロで見れば好ましい流れではあるが、問題は日本が粘り強い交渉や外交努力によって勝ち取った基地の縮小ではないということだ。周辺環境の変化とアメリカの軍事技術の進歩によって、いわば「棚ぼた」で結果として縮小に至ったのでは、日本国民、とくに沖縄県民にはなんともいえぬ虚無感が広がる。

まして、普天間の代替地について、十五年間という使用期限をつけてもらいたいと沖縄県知事から要請されておきながら、現時点におけるアメリカの「ノー」の意思表示によって、日本政府は沖縄の要望を無視している。にもかかわらず、数年たてば普天間は返還され、代替地も結局は必要なかったというのでは、日本外交の在り方そのものが問われることになる。日本の日米関係に対する主体性がまさに問われている問題だと肝に銘ずるべきであり、政府はいまのような流れをあらかじめ読むことによって、対米交渉にあたるべきである。

また、アメリカは日本には事前の十分な相談もなく、このようなドラスティックな動きをたんに通告してくるだけという可能性が十二分にある。同盟国に対してそのようなことはないだろうと考えるのは、一九七一年の米中和解が日本の頭越しに行なわれたことを例に挙げるまでもなく、甘い見通しといわざるをえない。

アメリカと北朝鮮とのあいだには、実質的な話をするチャンネルがもうすでにできていると考えるのが自然であり、いつ、どのような状況変化が起こるかは予断を許さない。ひょっとすれば、韓国のみならずアメリカからも、北朝鮮に対して日本の支援を求めるケースもあるかもしれない。

アメリカは同盟国のために外交を行なうのではなく、自らの国益追求のために動き、日本との同盟関係もその延長線上で考えている。これは当たり前のことであり、アメリカを責めるべき話ではない。必要なのは、日本はどうしたいのかという確固とした意思をもち、同盟国であるアメリカに明確に示していくことである。

具体的には、北朝鮮に対しては拉致問題、ミサイル問題、工作船問題などをはっきりさせたうえで国交正常化交渉に臨むことの理解と支持を求めること。当然、そのうえで戦争賠償については行なう用意があるということも伝える。

また、周辺情勢のいかんにかかわらず、沖縄に駐留する海兵隊の移動とそれに伴う普天間基地の代替基地を前提としない返還を求め、それと同時に日米防衛協力の指針を周辺事態のみならず、平時からの協力、日本有事における協力についても細かく取り決め、防衛協力を実効性あるものに高めていく決意も伝える。その際、現在の集団的自衛権の解釈、つまりは「武力行使の一体化」についても、政府解釈の変更を含めて考える覚悟をもたねばならない。

また、「限定駐留」もしくは「有事駐留」の可能性、あるいは日米同盟を第三国にも門戸を開放して多国間安保にできるかどうかといったことも、お互いが議論することに合意し、拙速を避け、信頼関係をしっかり保つなかで研究することも必要だ。

いずれにしても、日本が外交・安保方針を明確にもち、それを実現していくというわかりやすさが求められている。
あまりに不十分な日本の法制

朝鮮半島の情勢変化による懸念材料がないわけではない。それは、わが国における安全保障の議論が停滞することである。いうまでもなく、最近のわが国の安全保障環境にとって、不安要因は朝鮮半島であり、中台間の緊張であった。前述したように、北朝鮮の大戦略は変わっておらず、「恫喝」外交から「対話」路線に転換しただけである。また、この路線が定着するかどうかは、まだまだ今後の推移を慎重に見極める必要がある。

ただ、方針の転換によって緊張緩和の雰囲気が漂いはじめたのは事実であり、そのような状況下において、さらには景気回復や財政再建、教育の在り方の見直しなど国政の諸問題が山積するなかで、あえて安全保障論議を深めていくにはかなりのエネルギーが必要となる。

しかも、第二次世界大戦後の厭戦感がいまなお強く残り、戦後、まともな安全保障論議がなかなかなされなかった経緯もある。また、日本は元来島国であるために、大陸国家であるドイツやフランスなどと違い、朝起きてみれば地続きの隣国の戦車が街のなかを走っているという、たえず糸を張り詰めたような危機意識が欠如している。したがって、もともと危機管理に対する意識が希薄になってしまうのは仕方のない面もある。

しかし、いまの日本は周辺諸国の環境変化以前の問題として、万が一のケースを想定したソフト、つまり法律やマニュアルの整備が根本的に欠落している。たとえばBMD(弾道ミサイル防衛)構想にこれからも参加するかどうか、あるいは実戦配備をほんとうにするのかどうかといった議論は、周辺環境の劇的な変化を受けて再考することは当然あってしかるべきである。

ただ、日本が仮に攻められた場合、あるいはテロやゲリラによる襲撃を組織的に受けた場合、それに対処するための法整備がほとんどできていないという現実は、周辺環境の変化によって変更するかどうかを決めるという次元以前の問題だ。他からの脅威には粛々と、しかし毅然とした態度で臨む「構え」をもつことは法治国家として、何よりも主権国家として当然のことではないだろうか。遅れている緊急事態法制の整備は、朝鮮半島情勢の変化があろうがなかろうが、着々と進めていかねばならない国政上の重要課題だ。

私は有事法制という言葉を使わず、緊急事態法制といっている。有事法制というのは、あくまでも有事のみに備えた法制であり、それに至るまでのいろいろなレベルの事態に的確に対処することのほうが、事前に火消しを行なうという意味でより重要なのかもしれない。現在の自衛隊法でいえば、治安出動や海上警備行動、あるいは対領空侵犯措置などがそれにあたるが、それだけでは不十分だし、また既定の措置についてもさらに詰めなくてはならない問題点が多い。したがって、有事法制と限定せず、さらに広い概念として緊急事態法制の整備が望まれる(有事に至るまでの事態で不足している部分の詳細については、ある程度、昨年の『Voice』十月号「ガイドライン論議は終っていない」で書いた)。

緊急事態法制にしても、従来よく使われている「有事法制」とそれに至るまでの事態に対処する法制のみではない。

「有事法制」といえば自衛隊の行動にかかわる法制で、防衛庁所管法令の第一分類、他省庁所管法令の第二分類、所管省庁が明確でない事項に関する法令の第三分類に分けられている。これらについても、法制化を前提とした整理を進めることの決定や、第三分類の所管が明確でない事項の第一および第二分類への仕分けを早く行なうこと、あるいは経年変化、つまり検討開始からかなり時間がたっているため、検討の必要がなくなったものや新たに検討項目として入れなければならないものの整理も早急に行なう必要がある。ここではいわゆる「有事法制」の細かな議論は割愛する。

緊急事態法制の一つの柱は、日本有事の際の米軍の行動に関わるものである。周辺事態については、一部手当てはなされたが、わが国有事における日米協力の実効性確保は未整備だ。自衛隊の行動に関わる法整備と併せて、米軍の円滑な行動を確保する法制とその行動を支援する法制の整備や、さらに条約(つまり有事ACSA[日米物品役務相互融通協定]やWHNS[戦時接受国支援]など)の改正が必要となる。

米軍の行動を確保する法制については、有事法制と同様に個々の具体的な法整備を必要とするのか、または自衛隊が適用を受ける国内法を全部準用、さらには派遣国軍隊としてわが国法令の適用を受けないと考えるのかといった、幅広い選択肢が考えられる。

いずれにしても、米軍の行動に関わる法制を明確に規定しておかなければ、米軍が作戦の必要上、独自の法解釈に基づいて行動することも十分考えられるので、自衛隊の行動に関わる法制同様、法制化を念頭においた検討がなされなければならない。

次に重要な緊急事態法制の柱は、国民の生命財産の保護に関わるものである。国民の生命財産の保護については、第三分類のところで、住民の保護・避難・誘導の観点から関係省庁による検討が促進されるべきだが、ジュネーブ条約の第一追加議定書では、民間防衛とは「敵対行為または災害の危険から文民たる住民を保護し、文民たる住民が敵対行為または災害の直接的影響から回復するのを援助し、また文民たる住民の生存のために必要な条件を提供することを意図したこと」を指す。具体的には警報、避難所管理、灯火制限装置の管理、救助、応急手当てを含む医療上の役務および宗教上の援助、消防等を具体的に規定している。

わが国は批准していないものの、国際的な評価を考慮すればこのような事項についても真剣に考えなければならない。第三分類にある住民の保護・避難などでは必ずしも十分ではない。

とくに「民間防衛」については、現行国家行政組織法には規定のない民間防衛を主管する省庁を確定し、災害対策基本法に類する法制の規定など、被害の拡大を防止し、自らの生命財産を防護するために国民一人一人がいかにあるべきかとの考え方をまとめて、国家的施策として推進する必要がある。公的機関による対応の限界を補完し、被害の限定を図る観点からも、きわめて重要な視点である。

このほか、法整備ではないが、地方自治体の協力の明文化や、戦闘必需品の備蓄や緊急増産態勢、要員の緊急募集、装備の自国生産能力の維持・向上、あるいは基地設備や正面装備、レーダーサイトなどの非脆弱化といった継戦能力の向上を根本から行なわなければならない。また、夜間戦闘能力の整備といった、現時点における欠落機能の整備にも目配りが必要だし、何よりも、食糧やエネルギーといった資源の確保を、緊急事態においてどのように行なうのかも平素から決めておくべきだ。

さらに、限られた防衛費のなかで、能力を向上させなければならない分野はあまりにも広い。一朝一夕では達成不可能なボリュームではあるが、十分な議論のうえ、漏れのない、着実な整備を政治の世界にいる者の責任として取り組んでいきたい。