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1999年10月「ガイドライン論議は終わっていない」(PHP社刊『Voice』1999年10月号)◆
ガイドラインには三本の柱がある
平成十一年の通常国会で、ようやく日米防衛協力の指針(いわゆるガイドライン)に関連する二法案(周辺事態法案、自衛隊法改正案)と、日米物品役務相互提供協定(以下、ACSA)の改定案が成立した。これによって日本の平和と安全に重大な影響を与える事態が生じた場合、政府がそれを周辺事態と認定し、原則として国会の事前承認を得て、自衛隊が輸送・情報の提供など米軍に対する後方支援を行なったり、日本独自でも捜索・救難活動が行えるようになった。
永田町を含めて、日本全体に「ガイドラインの議論はこれで終った」といった雰囲気が漂っているが、私はこれをたいへん危惧している。いうまでもなくガイドライン論議はまだ終っていない。もっと正確にいうと、ようやく始まったばかりである。これは今回、協力が取り決められた周辺事態の際に、日米間で具体的にどのように運用していくのか、事務・制服両レベルであらかじめ詰める作業を行なっておいて、いざというときには効果的に機能するようにしておくべきだということをいっているのではない。ましてや、自自公三党の妥協の産物として、ごっそり抜け落ちた船舶検査をどのような形で復活させるのかという、大事ではあるがきわめて各論に属する問題を提起しているのでもない。
たしかに、周辺事態における協力体制を、成立した法律、改定された条約に基づいて、より具体的に、細部にまでわたってあらかじめ決めておくことはたいへん重要なことだ。アメリカのコーエン国防長官が七月下旬に来日し、数名の議員で懇談する機会があったが、長官もその必要性について自ら言及していた。目下、日米両国の作業チームが、九月に行われる「【2+2/トウープラストウー】」(日米外相・防衛相会談)に向けて、戦略的概念、実施計画などを細かく決めておく作業を行なっている。
私が「ガイドライン論議は始まったばかりだ」と強調するのは、ガイドラインには三本の柱があって、周辺事態における協力はその一つにすぎないということである。まだ二つ残っているのだ。それは「平素から行う協力」と「日本に対する武力攻撃に際しての対処行動等」であり、この二つの議論を引きつづき行い、周辺事態に際しての協力と同様、関連する国内法の整備と、ACSAのさらなる改定を行わなければならない。そのことによって初めて、ガイドライン論議は完結する。
私はそもそも、ガイドラインの議論は日本有事の際の協力から行うべきだと考えていた。今回のガイドライン関連法案を「対米追従」だとか「戦争協力法案」だと揶揄した政党があったが、仮に日本有事の議論を先にしておれば、そのような宣伝にはならなかったはずだ。なぜなら、まさに日本が攻撃された場合、米軍は日米安保条約第五条に基づいて日本への急迫不正の侵害を排除するため、一緒に戦うことが期待されているが、その米軍に対して自衛隊や地方自治体などが協力することに、はたして「アメリカの戦争に巻き込まれる」などと真正面から異議を唱えることができるだろうか。多くの国民はそうは思わないはずだ。
そして、日本有事の日米協力について議論したあとであれば、周辺事態の議論をもっと冷静で、かつ国民全般が理解しやすい形で行えたと思う。
たしかに、朝鮮半島情勢が不透明感を増し、現実問題として日本有事よりも周辺事態の可能性が高いという見方はあながち否定できない。(私は周辺事態がすぐさま日本有事、たとえば在韓米軍の後方支援基地である在日米軍基地などへの攻撃につながる危険性は、残念ながら高いと考えている)
また今回のガイドライン論議が、一九九四年の朝鮮半島の緊張に端を発して、約二十年ぶりに盛り上がってきた経緯や、アメリカ政府がいまなお朝鮮半島情勢に強い関心と懸念をもっている以上、周辺事態の協力から入らざるをえなかったという政治状況は、まったく理解できないわけではない。
実際、現時点において、平素からの協力と日本有事の際の協力に対するアメリカ政府内の関心は、きわめて低いのではないかと私は感じている。先ほど、コーエン長官との会談について少し触れたが、その際、私から残り二つの協力についてどのように考えているのか、具体的なタイムスケジュールも含めて問いかけてみたが、「周辺事態への協力の枠組みが決り、いまはとにかく、それを実効あるものにするための具体的な詰めの作業が必要だ」と再度、答えるだけで、肩透かしを食ったような感じであった。防衛庁や外務省の担当者、あるいはワシントンにいる知人などを通じてアメリカの様子を聞いてみても、他のガイドラインを引きつづき議論をしようという雰囲気ではまったくないようだ。
日米両国の担当者にとっても、取り扱う人が同じである以上、いまはできたものを具体化する作業で手一杯であり、新たな協力の話は二の次だという心境かもしれない。九月の「2+2」のあとで、引きつづき残り二つの防衛協力を手掛けるなら結構なことだ。しかし、そうなるかどうか、私はかなり心配している。なにせ日本にはガイドラインの法制化を二十年あまり放っておいた前科がある。また、那覇軍港の返還を日米間で合意しておきながら、これまた二十年以上放置しておくお国柄である。間断なき議論が行えるよう、私も国会の内外で働きかけていきたい。
有事法制の「第四分類」
平素からの協力も大切だが、日本有事の協力内容は早急に具体化されなければならない。そうでないと、周辺事態が不幸にも万が一、日本有事に発展したとしても、これから最も大事なところに立ち入るというまさにそのときに、具体的な日米防衛協力に空白が生じてしまうことになる。
いうまでもなく、日本有事の際のガイドラインでわれわれが整備しなければならない国内法が、いわゆる有事法制である。有事法制研究は、正式には昭和五十三年八月、シビリアン・コントロールの原則に従い、内閣総理大臣の了承のもと、防衛庁長官の指示によって開始された。
日本では有事法制を議論すること自体に否定的な人がまだまだ多い。私が耳にする慎重論は「日本は有事にならないように外交努力を行うべきであって、そのような努力をせず、有事を想定して法整備を考えることがそもそも不謹慎である」といったものや、「有事に備えるということは、ある特定の国を意識してのことであり、相手を刺激してかえってマイナスではないか」といったものである。
私も、国家間の問題は外交努力で解決すべきであるという考えには大賛成だ。これだけ軍事技術が飛躍的に進歩した現在、核・化学・生物兵器といった大量破壊兵器が紛争に使用されれば、どれほど深刻な被害が当事国のみならず、周辺国、いや地球全体に及ぶかは想像を絶するものがある。万が一という言葉どおり、問題解決のために九九・九九%のぎりぎりのところまでは外交努力がなされなければならない。
にもかかわらず、もしもの時に備えての法整備は、政治の基本的な責務だと考える。有事法制は特定の国を想定して整備するものではない。万が一に備えて法整備を行い、そのような事態が仮に起っても、粛々と法に則った対応をとれるよう準備しておくことこそが法治国家の大原則である。また、そのような体制を平時から整えておくこと自体が、その国の強固な意志を他に示すことになり、他国からの侵略を未然に抑止する効果をもつことも忘れてはならない。
政府が行なっている有事法制研究の対象法令は、大別すると三つに分類される。防衛庁所管法令の第一分類、他省庁所管法令の第二分類、そして所管省庁が明確でない事項に関する法令の第三分類の三つである。第一分類については、防衛庁内の検討は一通り行われており、第二分類も防衛庁内での整理は終っているが、他省庁との関係で具体的な法整備がすぐにできる環境にはまだない。ましてや第三分類についてはまだまだこれからという感がある。
昭和五十三年から開始しているのに、なぜ遅々として進まないのか。もとより、有事法制そのものは防衛庁の仕事だとする風潮が霞が関のなかでは根強くある。関係する他省庁は、官邸からの命令で渋々お付き合いをしているという感は否めない。聞くところによると、メモもとらずに会議に参加する役所の担当者もいるそうで、その非協力的な姿勢を考えると、具体的な法制化は一筋縄ではいきそうにない。
たとえば、運輸省は有事の際に使用される具体的な空港、港湾の固有名詞など、ゆめゆめ挙げてほしくないだろうし、ましてや現在、離発着枠が民間航空会社で一杯なのに、自衛隊機・米軍機に割り当てるなんて不可能だと考えるにちがいない。有事の際にはまともに民間機は飛ばないと考えるのが常識だと思うのだが、そう簡単にはいかないようだ。
唯一、大局的な見地から物事を考え、行政をその方向に向かせるのが政治のリーダーシップである。ようやく与野党を問わず、主要な政党が有事法制の必要性について認めるようになってきた。その議論自体がタブー視されてきた五五年体制からすれば、隔世の感がある。広く国民に議論を開示しながら、慎重に、しかし着実に議論を積み重ねていき、結論を得なければならない。
有事法制には、じつはもう一つの分類がある。それは米軍の行動に関するものである。いってみれば「第四分類」とでも呼ぶべきものだろうが、これについてはほとんど議論が行われていない。この「第四分類」の所管省庁は、米軍の行動に関わってくるだけに、対米交渉の窓口である外務省が受けもたなければならないが、そのような作業はいまだに進められていない。外務省にすれば、米軍に関わる有事法制は、結局、自衛隊の活動に準じたものになるのであり、第一から第三分類までの議論が煮詰らなければアメリカとの話し合いにならないと考えているかもしれない。それはある面、もっともな意見だが、地位協定も国によって違うように、わが国の大枠の考え方を伝えるのと同時に、アメリカ側の考えをあらかじめ聞いておくことも必要だ。
とにかく、すべての議論を前に進め、具体化すべきときがきていることだけは確かであり、日本有事における米軍の行動に関わる法整備の検討も、精力的に行われなければならない。
海自活動の根拠は「調査・研究」
いうまでもなく危機管理は、そもそも起きてから考えるという類いのものではなく、起きる前からあらかじめそれを想定して整えておくべきものである。しかし残念ながら、日本には危機管理のシステムで欠如している点が多々見受けられる。いくつか具体例を挙げるなかで、その問題点を検証してみたい。
平成十一年三月二十三日朝、通常の警戒・監視活動を行なっていた海上自衛隊(以下、海自)のP3C哨戒機が、新潟県佐渡島西方沖の領海内で不審な船(のちに北朝鮮の工作船と断定)を二隻、立てつづけに発見した。海自からの通報を受けて、海上保安庁(以下、海保)の航空機が現場に出向き、停船命令を行うが、工作船はそれを無視して逃走を続け、海保の巡視艇や巡視船が追尾を始め、海保設立以来初めての威嚇射撃も行なった。詳細な経過は省略するが、工作船と比べて速力で劣る海保の巡視艇などはどんどん引き離されたが、海自の護衛艦は調査・研究という名目で並行して二隻の工作船の追跡を行なっていた。
同日深夜、一隻の工作船が何らかの理由で、突然、停船したが、海保の巡視艇は約一○○キロメートル後方に引き離されていたため、初の自衛隊法八十二条に基づく海上警備行動の発令になり、護衛艦が対処する法的根拠が与えられた。再び逃走を始めた工作船に対し、護衛艦から五インチ砲での威嚇射撃が何度も行われ、P3Cからは一五○キロ爆弾を数発投下して警告を行なったが停船せず、結局、工作船が日本の防空識別圏を越え、これ以上の追尾は危険と判断し、二十四日早朝、追尾を断念した。
今回の工作船事案は重要な反省点を数多く提供してくれる。たとえば、
(1)海上では一義的に警察活動を担当する海保の巡視艇に、北朝鮮の工作船ほどの速力がなかったこと。
(2)海保・海自とも、工作船の乗組員に危害を与えず、船を止めるのに適した機関銃等を装備していなかったこと。
(3)自衛隊の通常の警戒・監視活動の法的根拠が、戦史研究などと同じ根拠の防衛庁設置法第六条第十一項の「調査・研究」に依っていること。
(4)海上警備行動が発令されるまで、海自の活動の根拠がBの「調査・研究」であったこと。
(5)海保が工作船を追いかけた根拠法が漁業法、あるいは船舶法違反でしかなく、領海侵犯に対する国内法が欠落していること。
(6)いままで海上警備行動が発令されたことがなく、それに対する諸々の備え(訓練、海保・海自間の綿密な連携マニュアルなど)が不十分であったこと。
(7)海保・海自とも、武器使用の規定が警察官職務執行法第七条の準用であること。
等が主なポイントとして挙げられる。
(1)〜(7)のうち、ハード面(装備)での反省点は(1)、(2)だけであり、残りはすべてソフト(法律、マニュアル、運用、訓練など)に関わる問題である。ハード面にしても、速力の速い小型巡視艇を導入したり、より多様な口径の機関銃などを装備するだけであって、新たに多額の財政支出がいるような話ではない。われわれが目を向けなければならない多くの部分がソフトに関するものである。
まず(3)についてだが、正直にいうと、今回の事案が起るまで、私も日常の警戒・監視活動の法的根拠が防衛庁設置法の「調査・研究」に依るとは知らなかった。本来なら自衛隊法の中心的な項目、つまり自衛隊の任務を定めた第三条などに「警戒・監視活動」は明記されるべきものである。にもかかわらず、なぜ自衛隊法ではなく防衛庁設置法に根拠を求め、しかも戦史研究と同列の「調査・研究」に依らなければならないのか理解に苦しむところだ。法的根拠を新たにつくっても、現在の活動が実質的には何ら変らないとの指摘もあるが、きわめて大事な「警戒・監視活動」を自衛隊法の任務規定に決めていないということ自体、その姿勢に関わる問題であり、この点は早急に改善されねばならない。
(4)はさらに大きな問題だ。今回、海保は北朝鮮の工作船を漁業法および船舶法違反を法的根拠に追尾したが、先ほども触れたように、実際は海自の護衛艦も海保に並行して追尾をしていた。その任務の法的根処は、防衛庁設置法の「調査・研究」だったのである。並行してといえば聞こえはよいが、海保の巡視船艇は時間がたつにつれて工作船に引き離されており、結局、実態としては護衛艦のみが追尾している状況だった。「調査・研究」が法的根拠であるから何の手出しをすることもできないのは当然だ。
今回、海上警備行動の発令が初めてであったにもかかわらず、スムーズに出されたといわれている。それ自体に文句をいうつもりはないが、たまたま工作船が停船し、そばにいたのが護衛艦だけだったため、海上警備行動が発令されたと見るほうが、意地悪な見方ではあるがより事実に近い。
私は、領海、排他的経済水域、また主要な海上航行路(シーレーン)における警備を、海上自衛隊の新たな任務として付け加えるべきだと考える。もちろん、これらは一義的には海保の仕事であり、海自にその任務を付与することによって、縄張り争いや重複による混乱が生じないように配慮しなければならない。いまのところ、政府はこの考えに否定的だ。
私が必要と考える最大の理由は、調査・研究を根拠にする警戒・監視活動から、内閣総理大臣の了解を得て防衛庁長官が発令する海上警備行動までのハードルがかなり高いということだ。すぐに海上警備行動を出せるようにすればハードルは高くないとする考えもあるだろうが、Cのように実際単独で追尾していて、停船させる千載一遇のチャンスがあっても法的根拠がなく、機敏に対応することが困難だ。
実際、自衛隊法制定当時に、当初案のなかには領域侵犯に対する措置規定が入っていたという話がある。自衛隊OBの宮崎弘毅氏の講演録によると、自衛隊法案に、行動関係としては四つの内容、つまり(1)外部の侵略に対して防衛する武力行動、(2)国内の治安出動、(3)領域侵犯に対する措置規定、(4)災害派遣を自衛官が行える規定、があったと書かれている。領域侵犯規定が結局、盛り込まれなかった理由は、当時、脅威であったソ連でさえも海軍力は弱体であり、ましてや他国の軍艦なり、武装船舶が現われることはないとの判断があったようだ。同時に、スパイの潜入防止だけならば、警察と海保で十分だし、また当時の海自の装備ではとても領域侵犯の対処はできないとの判断もあったようだ。
当時はこのような理由で、領域侵犯に対する措置規定は盛り込まれなかったようだが、現在は工作活動も非常に活発であるし、船舶やそれに付随する兵器の性能も飛躍的に向上した。当時とは状況が一変しているのである。
海保と海自の役割分担が難しいとの指摘もあるが、領域警備を両者に与えている国も少なくない。たとえばアメリカでは海上における治安維持を所管する機関は一義的には沿岸警備隊であるが、国家安全保障とシーレーンの保護については海軍が任務を受けもっている。イギリスは逆で、伝統的に一義的には海軍が領域警備を受けもち、沿岸警備隊がそれを補完する仕組みになっている。このように両者が共に領域警備を受けもっている国もあり、あらかじめ役割分担を明確にし、共同対処、指揮・管制などについても細かくマニュアル化して、日常の情報交換、訓練などを密接にしておけば問題はないはずだ。何よりも国民から見れば、どこの役所・機関がやるべしという意識はまったくなく、少ない資源で無駄なく、最大の効果を出してもらいたいと願っているだけだ。縦割り行政の弊害を超越した領域の警備活動が行われなければならない。したがって、充実した海自の装備を使わない手はなく、警戒・監視活動と海上警備行動の隙間を埋めるための、海上における領域警備活動の法的根拠を海自に与えるべきである。併せて、詳しくは述べないが、日本領域内において、警戒・監視活動と治安出動のあいだを埋めるため、原発などの重要施設の警備を日常から陸上自衛隊に与えておく法律も、同様に整備されなければならない。
領海侵犯には罰則規定を
(5)も重要な問題である。海洋法に関する国際連合条約(以下、国連海洋法条約)に日本も加盟しているが、この条約の第三節に領海における無害通航についての規定がある。一部の例外を除いて、継続的かつ迅速に行われるものを通航といい、沿岸国の平和、秩序または安全を害しないかぎり、その通航は無害とされる。
ではいったい、どういったものが無害ではない、つまり害がある通航なのか。同条約の第十九条は十二の無害ではない例を挙げている。たとえば、領海における武力による威嚇または武力の行使、兵器を用いる訓練または演習、沿岸国の防衛または安全を害することとなるような情報の収集、密輸、密漁、調査または測量活動などである。ある国の船が無害ではない通航を行えば、当然、国連海洋法条約違反に問えるはずだが、それを裏づける国内法が整備されていないものもある。顕著な例が、沿岸国の防衛または安全を害することとなるような情報の収集をある国が行なったときだ。日本はスパイ防止法がないため、これを取り締る法的根拠がない。日本がスパイ天国といわれるゆえんである。早急にスパイ防止法制定に向けた議論を国会で進めていかなければならない。他の項目についても、無害でない通航だと判明した段階で、海保が警告を発して領海外へと追いやるだけである。いまの国内法では密漁・密輸以外に対しては罰則規定を含んだ効果的な対処方法がないのが実態である。
今年に入って、尖閣諸島付近における中国の海洋調査船の活動や人民解放軍の軍艦による訓練が、例年に比べてかなり盛んに行われている。日本が国連海洋法条約に基づいて中国や台湾とのあいだで、日本と両国の排他的経済水域を分ける中間線を設定しているが、中間線より日本側の排他的経済水域で、日本に何の事前通告もなく、勝手に海洋調査を繰り返しているのである。また、計四回にわたって領海を侵犯している。
他国の排他的経済水域で調査活動を行うには、半年前に通告することが義務づけられているが、中国からの事前通告はない。中国は「尖閣諸島は自分たちの領土であり、日本が設定した中間線についても認めていない」と主張している。大事なことは、日本固有の領土であり実効支配している尖閣諸島の領海が侵犯され、海保の巡視船艇が警告して、追い返して終り、これだけでほんとうによいのか、ということだ。
事前通告のない排他的経済水域での調査活動に対して、外務省はその都度、外交ルートなどを通じて中国側に抗議をしているが、罰則をともなう対処については、「他の多くの国も罰則規定は設けていない」と否定的だ。他国が罰則規定を設けていないのは、他国の排他的経済水域で調査活動をする際、ほとんどの国が事前通告をしており、その必要性がないだけである。日本は隣接する国といくつかの領土問題を抱えているだけに、実効支配をしている領土については、その領海と排他的経済水域においては国連海洋法条約で認められた権利をしっかりと守るべく、それを侵す他国などの活動については、日本の意志を毅然と示せるよう、罰則を含めて対処できる国内法の整備を早急に行い、海保や領域警備の任務を与えられた自衛隊が、これを根拠に行動できるようにしなければならない。
自衛隊を有効に活用すべき
(6)、(7)についても少し触れてみたい。北朝鮮の工作船事案で、多くの国民が「なぜ捕まえられなかったのか」「なぜ威嚇射撃だけではなく、実際に工作船を撃たなかったのか」と疑問を感じているにちがいない。私個人の感想は、非難を受けるかもしれないが率直にいって、「捕まえなくてよかった。逃げてくれてよかった」というものだった。
海保もそうだが、海上警備行動が発令されて動く自衛隊も、権限規定として警察官職務執行法第七条が準用される。その条文には、犯人の逮捕、逃走の防止、自己または他人の防護などのため必要で、相当な理由のある場合、その事態に応じ合理的に必要と判断される程度において、武器使用が可能であると書かれている。ただ、但し書きがあって、刑法第三十六条(正当防衛)、刑法第三十七条(緊急避難)に該当する場合と、相手が死刑、無期懲役、長期三年以上の懲役もしくは禁固にあたる罪を犯したときや、逮捕状により逮捕するときなどに抵抗したり、逃亡しそうな場合を除いては、相手に危害を与えてはならないとなっている。海保の巡視船艇および海自の護衛艦には、停船だけさせて乗組員には危害を加えない程度の、適当な装備を持ち合わせていなかった。したがって、相手が発砲していない、またはそのような可能性がなかった状況では、武器等防護のための武器使用を定めた自衛隊法九十五条も含めて、結局、人に危害を加える可能性が高い工作船への直接の射撃はできないと判断したのである。
では仮に、人に危害を与えず停船させることができたとしても、その後はどうするのか。船舶検査を行うことになるが、その際の武器使用は警察比例の原則が適用される。つまり、海保にしても海自にしても船舶検査をする場合、相手はせいぜい小銃程度の武器しかもっていないことを想定して、同等レベルの武器で対処しなさいという考え方に基づいている。しかし、工作船はほんとうに小銃程度しかもっていないのだろうか。韓国で発見された潜水艇などから類推すると、もっと威力の大きなものであった可能性も否定できない。約五○センチの鉄板をも貫通させるロケット砲をもっていたかもしれない。それに対してこちらは警察比例の原則で軽武装、しかも当時、海自は防弾チョッキさえも積んでいなかった。また国会での私の質問に対し、「そのような状況に備えて十分な教育・訓練が行われていたとはいえない」と防衛庁幹部は答弁している。であれば、全員が殺されるか、捕虜となっていた可能性はけっして低くなかったのである。
したがって今後、このような状況を想定して、武器使用の規定を警察官職務執行法第七条の準用から、国際社会一般で海上での警備行動で認められている程度にまで緩和する必要がある。また、破壊工作やテロ・ゲリラ活動に使われる武器の殺傷力は高まる傾向にあり、警察比例の原則をあまり厳格に考えるべきではない。その代りに、過剰な防衛や争いのエスカレーションを抑止するうえでもROE(Rule of Engagement:状況に則して武器の使用規定を細かく定めたマニュアル)を政治の責任において、あらかじめきちんと決めておかねばならない。当然、法律の整備とともに警察、海保、自衛隊などの関係機関の連携強化をさらに進め、教育、共同の訓練なども日常的に行われなければならない。
防衛庁内にも自衛隊法八十四条で定められた領空侵犯措置におけるROE(これは内規として決められており秘密扱い)も現状に合わなくなっているとか、治安出動時の権限を定めた同法九十条の「多衆集合」して暴行もしくは脅迫されれば武器使用が許されるとなっているところも、「小人数」であれば危険な目に曝されても武器は使用できないのかという指摘もある。さらに、同法九十五条の武器等防護のための武器使用も、「武器」の警護だけで「人」が欠けていてよいのかという根本的な問題点もある。
本稿の総括的な話になるが、日本防衛の議論をするとき、まずその思想が冷戦終結後、根本的に変ったと認識すべきだ。つまり仮想敵国の「大規模直接侵略」の可能性が低くなり、それに対してテロ・ゲリラやミサイルという新たな脅威が生れつつある。新たな脅威にどう対応するのか。この変化をこれからの防衛力整備の基本に据えることがまず重要だ。
次に、自衛隊をたんに有事のみに備える組織から、有事に至る前のいろいろな事態に対応できるよう、多様な任務を付与することである。自衛隊の本来任務はあくまでも有事に備えるというものであり、その姿勢は変ることはないが、有事以外の多様な危機にも対処するため、法律などを整備して、自衛隊を有効に活用すべきである。いままで検証してきたように、ソフトの面で欠けている部分が多々あるのが現状であり、政治の責任として、これらの充実に努力していきたい。
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