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日経新聞・夕刊文化面『こころの玉手箱3』(2007年4月25日)
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〜高校野球最後の打席のバット
小学生のころ、運動は苦手だった。中学に入ってバスケットボールを始めたが、万年補欠。得意なスポーツといえば高校、大学で打ち込んだ野球だ。というより、胸を張って話せるのは野球だけである。
高校は京都教育大付属。何か打ち込めるスポーツをしたいと思って野球部に入部した。小学校でソフトボールの経験しかなかったので硬球は正直、怖かったが、懸命に練習した。 2 年生の夏、レギュラーになった。家に帰って母に「背番号2」をつけてもらう。あの時のうれしさは忘れられない。
バスケのようにさぼり魔にはなりたくない。「試合に出るにはどうするか」を考えた。競争の厳しいファーストからキャッチャー転向を志願。ソフト時代のアッパースイングが矯正できないので、左打ちに変えた。これが大成功。小遣いで買った木製バットを抱えてバッティングセンターに通い、クリーンアップを打たせてもらった。通算打率は 2 割 5 分だったと思う。
我が部は弱かった。三年間で勝ったのは一回だけだ。高 2 の秋の大会は「 0 対 22 」の五回コールド負け。相手の東宇治高は甲子園に出場するほどの強豪だったが、それでも、その日の夜はベッドで泣いた。
野球は「我慢のスポーツ」だと思う。同級生のエースが受験で退部し高 3 からは投手もやったが、打ち取ったと思ったら内野の暴投で「あーっ」とか、しょっちゅうあった。もっとも、野手にすれば、ノーコン投手のせいで守りのリズムを崩していたに違いない。
理屈や教訓より、勝利の快感に勝るものはない。勝たなくてもいい。一球でもいい。最後に抑えた一球。集中できた自分。それが自信になる。小泉純一郎前首相との党首討論も真剣勝負、気合をぶつけていったのは野球と同じだ。
高 3 の夏。先発で臨んだ最後の試合は「 1 対 15 」の 7 回コールドで負けた。最後の打席はサードのファウルフライ。負けて悔いなし、というのはうそだ。あのバットでもう一度打席に立てれば、と今でも思う。勝利投手になって無念を晴らしたのは大学に入ってから。「 6 対 1 」の完投だった。
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