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◆対談「『防衛省』誕生で日本は『普通の国』になれるか」
(株式会社文藝春秋刊『諸君!』 2007 年 3 月号)
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石破茂(衆議院議員・自民党)
保阪正康(評論家)
前原誠司(衆議院議員・民主党)
「自衛隊管理庁」でしかなかった「防衛庁」の体質が改善されるならば画期的だが・・・
省昇格で何が変わるか?
保阪
今年1月9日をもって「防衛省」が発足しました。敗戦後に陸軍省と海軍省が解体されて以来およそ 60 年を経て、ようやく日本にも防衛を担う「省」が出来たわけです。かつては「戦後民主主義」の枠組の中で、防衛論議をすること自体になんとなく後ろ暗いイメージがつきまとっていましたが、今回の省昇格によって初めて陽のあたる場所で自衛隊が語られるようになるという期待をもって今後を見守りたいと思います。
しかし、省昇格で具体的に自衛隊の何がどう変わるのかを眺めてみると、いまひとつ方向性が見えてこない。「軍国主義の復活」という一部教条的な論者の批判に配慮してか「何も変わりません」という防衛省幹部らの発言も目立ちますが、北朝鮮の核とミサイル、集団的自衛権に関する憲法解釈の整合性、日米安保、さらには沖縄の在日米軍の見直し・再編成(トランスフォーメーション)など課題は山積しているのに、何も変わらないのなら意味はありません。結局、「戦後レジームからの脱却」云々という安倍首相の口癖が木霊するばかりで肝心の将来像が全く見えず、どうも居心地の悪さを感じてなりません。
そこで今日は、防衛省昇格とともにわれわれ日本人は何を考え、整備していかなくてはならないのかを存分に論じてみたいと思います。石破さんは2002年9月から約2 年間防衛庁長官を経験されていますが、省昇格のご感想はいかがですか?
石破
これでようやく日本にも安全保障政策を責任もって扱う官庁が出来たなあ、というのが第一の感慨ですね。たとえば国税という分野なら財務省があり、外局に国税庁がある。農林水産については農林水産省があり、外局に林野庁と水産庁がある。省が政策を企画・立案し、外局の庁が実施部門だという大まかな役割分担があるわけです。しかし戦後 60 年間、日本は主権国家でありながら安全保障政策について責任を持って企画・立案する機関が存在しないという極めておかしな状態が続いていました。私自身が防衛庁長官を務めた経験から申しますが、防衛庁に安全保障政策を主体的かつ責任を持って企画・立案する機能は乏しかったし、内閣府に企画・立案機能があって外局の防衛庁が実施部門だったかというと、そうでもない。あるいは内閣に設置されている「安全保障会議」という組織もありますが、これも相当に形骸化しています。つまり、日本政府には「普通の国」なら当然保持しているはずの「国防」という責任概念が存在せず、およそ主権国家とは言い難い状況だったわけです。
今回の省移行では、その歪みが解消されるというのが最大の収穫だったはずです。なのに、「何も変わりませんので安心してください」などという説明に終始していて、省移行によって本格的な文民統制化での安全保障政策推進の時代が始まるのだという決意表明は残念ながらありませんでした。これでは看板を掛け替えただけではないかと揶揄されても仕方ないし、もう少し踏み込んで国民に省移行の意味をアピールすべきでした。
前原
私は石破さんとは違って、やや逆説的な表現ですが「むしろ何も変わらないほうが良い」と思います。なぜかというと、国家存続のための根幹をなす国防という事業が政府の外局に置かれていた過去の制度自体が異常であって、省に昇格するのは当然のことです。これを契機として、防衛省職員たちが国家に対する責任感や使命感、誇りをより強く持って仕事に精励できる環境になれば、それで十分ではないでしょうか。もちろん、自衛隊が孕む組織的欠陥は多々あり、憲法との関連においても今後改善しなければならない点は別途論議すべきですが、省昇格したからといって付け焼刃的に何かを変えるのは、むしろ逆効果ではないかと思うのです。
ところが何を血迷ったか、久間大臣は自衛隊法の改正に伴い、「国際貢献業務」を自衛隊の本来任務に格上げして第 3 条に入れてしまいました。もちろん国際貢献業務の重要性に異議を差し挟むつもりはありませんが、自衛隊の本来任務はあくまで侵略からの防衛と公共の秩序の維持(祭が救助など)の日本柱であるはずです。第 3 条で国際貢献業務を加えてしまうと、いったい誰のための何のための自衛隊かがぼやけてしまい、理念が曖昧になってしまう。これはせめて第 4 条に留めておくべきだったのではないでしょうか。
石破
珍しく前原さんと意見が違ったので楽しいな(笑)。ただ、良くも悪くも自衛隊のあり方は実質的には何も変わっていないような気がします。
むしろ今回の省移行で問われているのは、自衛隊を「使う側」、つまりわれわれシビリアン(文民)の姿勢ではないでしょうか。 1950 年に「警察予備隊」が組織されて以来半世紀、我々は自衛隊の存在意義を真摯に考えることなく漫然と過ごして来たことを反省すべきだと思います。とくに冷戦期はその傾向が著しく、左翼全盛期時代には「自衛隊員」というだけで石もて追われる状況でしたし、国防論を語る学生などリンチの対象になってもおかしくなかった。逆方向では観念的な右翼学生が大声を張り上げるくらいが関の山。当然、国家戦略などあるはずもなく、冷戦期の防衛指針「基盤的防衛力整備構想」を読み返すと、「我が国に対する軍事的脅威に直接対抗するよりも、自らが力の空白となって周辺地域の不安定要因にならないよう、独立国としての必要最低限の基盤的な防衛力を保有する」としており、要は「存在していればいい」というだけで、何のために存在するのかがさっぱりわからない。まさに自衛隊の存在そのものが不条理だったわけです。だから長官に就任したとき、まず最初に「基盤的防衛力整備構想」を絶対に見直さなければならないと思いました。二〇〇四年の防衛白書で「存在する自衛隊」から「より機能する自衛隊」への転換というコンセプトを打ち出したのはその決意のあらわれだったわけです。
また、防衛庁は、「大綱」「中期防衛力整備計画」で定められたとおりに戦闘機や潜水艦をアメリカから買い揃えてゆくこと、いわば「自衛隊管理庁」としての機能しかなかった。自分が長官を勤めていながら何だというお叱りを承知の上ですが、「しょせんは外局だし」という意識があったことは否めません。
前原
「自衛隊管理庁」という表現は図星ですね。防衛省では大臣官房や各部局を含む「内局」の官僚(背広組)が自衛隊の予算や人事を司り、統合幕僚監部下の陸海空の自衛官(制服組)を掌握するという構図が長らく続いていました。その結果、官僚が自衛隊の予算と人事を握っておくことがシビリアン・コントロール(文民統制)だ、という錯覚が生じ、本来の意味での文民統制が行われてこなかったと思います。
石破
おっしゃる通り。しかも、防衛省の組織は文民統制をし難い仕組みになっています。内局、統合幕僚監部の他、陸海空三自衛隊それぞれの幕僚監部もあり、外部からは命令系統が非常に見えにくい。これでは有事の際、どこにどんな命令を下せばよいのかわかりません。つまり、防衛省はユーザーである文民にとって使い難い組織なのであり、いくら性能の高い武器や練度の高い隊員を揃えたとしても、こんな組織が良いものであるはずがない。
保阪
なるほど、文民統制ならぬ「官僚統制」が日本の防衛を取り巻く実態だったわけですね。この点に関しては、私も同感です。文民統制を徹底するなら、自衛隊を文民にとって使いやすい組織にすること、使う側の文民もきちんとした見識を持つことの二点が重要になってきますね。
問い直される「文民統制」
前原
文民統制の話で思い出しましたが、防衛省移行記念式典で、中曽根康弘元首相がじつに含蓄のある演説をされていました。まず第一に、省昇格を契機として、国防の概念が存在しない現行憲法を変えていかなくてはならないということ。二つ目は、周辺情勢や日本国内の変化を不断に見直して「必要最低限」の範囲を臨機応変に変えるべきだということ。そして三つ目に、「シビリアン・スプレマシー」(文民優勢)という表現を用いて、文民統制について現行制度は完全に本来の意味をはきちがえていると指摘されました。式典で自然に拍手が沸き起こったのは、この中曽根元首相の演説だけでしたね。私自身も、わが意を得たりと思う内容でした。逆にダメだったのは安倍首相で、例のごとく「戦後レジーム脱却」「美しい国」云々と空疎な言葉の羅列を棒読みするだけでした(笑)
ともあれ、さきほど石破さんが指摘されたように、省昇格で課題をつきつけられているのはむしろわれわれ文民のほうだということを中曽根元首相も暗に強調されたわけです。
石破
二十五万人もの自衛隊員を抱える巨大かつ複雑な組織を、素人である大臣は一人でコントロールするという恐ろしい仕組みが文民統制の本質です。いくら軍隊に詳しくとも政治家はしょせん素人ですから、国家の命運を誤らせないために、軍事のスペシャリストを大臣の補佐に付けるかたちで文民統制を補完しなければならない。
日本では防衛用設置法によって、防衛大臣の補佐役として官房長や防衛局長などが当たることになっており、そのための「防衛参事官制度」が設けられてきました。しかし、この参事官になれるのは背広組みだけであって、自衛官(制服組)は就かないことになっている。
前原
国際情勢や自衛官を取り巻く環境の変化という観点からも、背広組だけの参事官登用はふさわしいとは思えませんね。イラク復興事業や洋上給油など自衛隊の活動地域がグローバル化している今日、参事官たる人物はより幅広い現場の知識を持っていなくては務まらないはずです。
保阪 それならむしろ現場を知悉している制服組を充てるほうが理にかなっているのではないか、という議論も近年出てきました。私の取材経験でも、二十年ぐらい前までは防衛大学校にも旧軍出身の教官が少なからずいて、旧軍の悪しき体質を引きずっているように思いましたが、今はすっかり良い意味で旧軍の影響は払拭されている。今の制服組は旧軍の問題点を十分認識しているように、私には思える。現場から離れるほど感覚が狂うのはどの世界でも共通のことですから。幾つかの条件をつけたうえで制服組活用すべきでしょう。
石破
私が長官を務めた経験でも、制服組の意見をしっかり吸い上げる仕組み構築すれば、自衛隊の機能はもっと効率的になるはずです。私は制服組への訓示の際、「積極的に政治に対して意見を述べることは諸君の権利であり、義務でもある」と繰り返し言い続けたのですが、政治に意見云々と聞くと二・二六事件などを連想してしまうのか、みな驚いて引いてしまうんですね。もちろん、武力を背景にして政治を脅迫するのは論外です。しかし、どんな軍事オタクの政治家よりも、日々戦車を動かし護衛艦に乗っている彼らのほうが皮膚感覚で様々な問題点を知り尽くしている。それに、法や整備に不備があれば真っ先に犠牲を強いられるのは制服組です。体を張っている彼らから「この装備のここが問題だ」「あの法律ではダメだ」と素人たるわれわれに教えてくれなくては、むしろ困るわけです。
ところが平時の軍隊は背広組にもまして官僚化する。本音を言う人が排斥され、事勿れ主義の人が出世する。
保阪
軍隊には上官命令絶対服従という宿命がありますから、あまり風通しを良くしすぎても規律を乱しますし、大きなジレンマですね。
ちなみに日本が泥沼の戦争に突き進んだ昭和十年代の陸軍の指導者には、じつは戦場経験者はほとんどいません。軍隊が疲弊するのは戦時よりも平時であり、軍官僚が軍事力を背景に国内政治に圧力をかける弊が生まれます。戦の現場により遠い人ほど判断を誤るという教訓が窺えます。
石破
私は「参事官には制服組をいれなくてはならない」と言っているわけではありません。軍事に造詣の深い学者や統幕議長経験者、あるいは民間の軍事研究者等の中から非常に知見の高いスペシャリストが大臣の補佐を務めるのも良いのではないか、というのが私の意見です。
前原
こう論じてくると、参事官制度とは道路公団や天下りと同じく、中央省庁の縦割り行政の弊害が様々なかたちであらわれているケースのひとつに過ぎないことが鮮明になってきますね。戦後六十年間、官僚たちがポスト争いに明け暮れ、それぞれ省益、局益ばかりを追及し、結果的に国益を害してきたわけですが、自衛隊もまさにこの図式の中にあるわけです。安倍首相も「戦後レジーム改革」と言うのなら、まずはこの官僚支配体制に風穴を開けないと始まりません。
民主党のマニフェストでは「部局長級以上の役職はすべて政治任用にする」と提案しています。政治任用によって官僚の暴走を防ぎ、いわば霞が関全体をシビリアン・コントロールして行こうという発想です。このマニフェストなら参事官制度も廃止されますし、自衛隊の文民統制も自動的に実現できます。政権交代の最大の意義はここにあると言っても過言ではありません。
保阪
ところで、省昇格にふさわしいだけの政策立案能力を兼ね備えているんでしょうか?
石破
急には多くを望めませんが、優秀な若手は徐々に育っています。アメリカや中国の高官を相手にしても、きちんとした防衛政策論を闘わせることの出来るプロパー職員も増えています。ただし、官僚のあり方を規定するのは、やはり政治家の後ろ姿です。こちらは一生懸命勉強して厳しい質問をすれば、官僚も負けじと努力する。
観念的すぎる「戦後レジーム脱却」
保阪
以前から気になっていたことですが、いったい安倍首相はどこまで深い理解をした上で「戦後レジーム脱却」を口にしているのでしょうか? もちろん、現在の日本は様々な分野で戦後体制の歪みが顕在化しており、それを見直すことについて私自身も全く異存はない。が、安倍首相には過去に対する視座が欠けているような気がしてなりません。そもそも戦後レジームが形成されたのは、それに先立つ戦前レジームの歪みを乗り越えるためであり、二度とあのような愚かな戦争に日本を巻き込ませないためという理念が出発点にあったからです。そして戦後六十年を経て、その戦後レジームにも徐々に制度疲労が見え始めたというのが歴史的な経緯です。こうした俯瞰図を抜きに「戦後レジーム脱却」を訴えても、いまひとつ説得力に欠けるように思えてなりません。安倍首相が発する言葉の空疎さは、この点の認識不足に由来するようにも感じるのですが……。
石破
同じ自民党の代議士としてはなかなか申し上げにくいのですが、性急すぎて説明不足の点はあると思います。自民党大会でも、安倍さんは何よりもまず「憲法を改正する」と言い、それに続けて「戦後レジームから脱却する」と言った。私などはそれを聞いて、「ちょっと待ってください。この国の何をどう変えて、どんな国にするんですか?」と、思ってしまう。「憲法改正で戦後レジーム脱却」と言っても、これは何も言っていないに等しいわけです。
私個人の考えでは、戦後レジーム脱却の核心があるとすれば、それは「集団的自衛権の行使を可能にすること」だろうと思います。私は「憲法改正なくとも集団的自衛権の行使は可能」という論者ですが、日本が集団的自衛権を行使できるようにするには、以下の二つの歴史認識が不可欠です。まず第一は、「なぜあのような戦争に突入してしまったのか?」という認識。なぜ勝ち目のない戦争に突入し、貴重な人命と財産をことごとく失い、国民には何も知らせないまま、破滅に陥ってしまったのかという視点からの反省です。
第二は、先の戦争日本がアジアの国々に対し、いかに多大な迷惑をかけたかに対する認識。私自身は、日中戦争はまぎれもなく侵略戦争だったと思いますし、一般人も巻き込んで大きな犠牲を強いたことは間違いないと率直に思います。「南京大虐殺はでっち上げ」「三十万も殺していない」という論争をよく見かけますが、たとえ百人の虐殺であっても虐殺に変わりはないわけですし、「他の国もおなじような侵略をやっていた」という自己正当化の論理は、子供がよく言う「だって○○ちゃんもやってるもん」という言い訳と似たような発想です。迷惑をかけた点について深く謝罪したい。その上で、しかし戦後の日本は国際平和を重視し、日本の独立と安全のために必要な自衛力を持ち行動していくのだと訴えていくことが必要なのです。
もちろん、安倍総理は言葉足らずなだけで、実際はしっかりした歴史認識をお持ちであると思います。しかし、いくら頭で理解していても、キチンと言葉に出さなければならないというところはあるでしょう。
保阪
歴史を検証し、過去に対する視座を確立した上で初めて前に進めるというが防衛の基本ですからね。「戦前は軍部が勝手に暴走したけれど、今ではそんなことは起こり得ない」と一笑に付する向きもありますが、そもそも軍部が台頭する過程で、政争の具とされた「統帥権」を軍部に教え火をつけたのは犬養毅や鳩山一郎ら、むしろ政治家の側です。やがて軍部はこの統帥権を錦の御旗とし、政治に対して隠然たる影響力を強めていった。そして、満州事変を含めた軍部の暴走に慌てた犬養首相がその抑止に踏み切ろうとしたところ、五・一事件が勃発して政党政治時代が終わり、後戻りがきかなくなってしまった。これは文民統制失敗の最たるものであり、戦前の失敗に学ばずして前へは進めません。
私はどちらかというと有事法制には批判的なスタンスを取り続けてきましたが、一部論者の硬直した「有事法制自体がケシカラン」というのではなく、戦前の失敗を乗り越える知恵を持っているのであれば全くかまわないと思う。しかし現実を見てみると、どうも戦前に学んでいない気がするんです。
前原
それはまさに戦後教育にも一員があるでしょうね。昭和二十年八月十五日を境に、歴史の整合性が全く失われてしまいましたから。とにかく戦前は全否定で一部軍国主義の戦犯が悪い、そして一億総懺悔を経て戦後民主主義万歳でやってきましたから、戦前のどの時点で誰が何を誤ったのか、国民が実証的に歴史を知る機会は奪われてしまいました。その点、安倍さんには戦後民主主義の裏焼きのような印象があります。両者がネガとポジの関係。それにやや観念的すぎる傾向もありますね。教育にしても、教育基本法を変え「愛国心」を盛り込むことの大切さには私も異存はありませんが、今この瞬間どこかで起きている「いじめ」や「自殺」に対して何か有効な手立てを打てているかというと、現実は何も変わらない。観念が先行しすぎて地に足がついていないという感じがします。
私と安倍さんの主張には、表面だけなぞれば類似点が多いかもしれない。しかし私のは「観念ありき」の演繹式ではなく、規定される個別具体的なケースを検討する中で帰納的に自分の結論に辿り着いたんです。のちほど詳しく述べますが、ミサイル防衛ひとつとっても幾つかの場合分けを行い、考えうる可能性を逐一検討する過程を経て、最終的に「集団的自衛権の行使は必要」という論が残ったわけです。ところが安倍さんは途中の過程をすべてすっ飛ばしていきなり「戦後レジーム」云々と抽象的に言うものだから、国民は何のことだかさっぱりわからない。もっと他に地に足の着いた議論をしないと、皮肉なことに共産党の鏡映のような、イデオロギーに凝り固まった保守になってしまいかねないと思います。
保阪
安倍政権になってやおら登場したものに「核武装論」がありますね。中川昭一政調会長の発言を皮切りに議論を呼び、本誌二月号でも現役自衛官が「『核武装なき日本』に明日はない」という匿名論文を発表して話題を呼んでいますが、これについてはいかがなんですか?
前原
私は現時点で核武装論を検討するのは国益にとって百害あて一利なしと思います。最大の理由は「費用対効果」の一言に尽きるでしょう。皆さんからお預かりした税金をもっていかに最大の果実を得るかを考えれば、まずはインテリジェンス、それから防衛産業の基盤充実に力を注ぐべきでしょう。その先のことは、基盤体力が十分ついてから考えればいい。
石破
わたしもほぼ同じです。日米同盟のみならず、 NPT (核拡散防止条約)、エネルギー政策その他諸々を考慮すれば、核武装は明らかに国益を害します。しかも近年、精密誘導兵器の技術が飛躍的に進歩し、ミサイル防衛の目処も立ち始めた矢先に、なぜ古典的な核抑止論が正面から出てくるのか、理解に苦しみます。
保阪
観念論との繋がりでいえば、あまりにも頑迷な護憲主義者も存在しますよね。彼らは逆に戦前レジームの矛盾を語るのに性急すぎて、戦後レジームがいかに矛盾を抱え込んでいるかに目が行かない。奇しくも彼らは戦前の軍人と同じ陥穽に嵌まっているんじゃないかと皮肉りたくもなりますが、民主党内にもずいぶんおられますね(笑)
前原
私の目からみると、護憲主義者には筋が通っていない人がじつに多い。自衛隊は現行憲法より後に出来たため、政治家は解釈改憲を積み重ねて現実に即応させてきたわけですが、それゆえ護憲を言うならば、昔の社会党のように「完全な非武装中立」を支持するのが筋道でしょう。ところが、自衛隊ハンタイを叫ぶ護憲派の中には「日米同盟は続けるべき」と言う人が相当いるんです。こんなおかしな論理はありませんよ。つまり、「日本は信頼できないけれど、アメリカは信頼できる」「アメリカが戦争するのは許すけど日本に任せると危ない」というのと同義ですから。本末転倒で矛盾だらけの論議をしていることを全く認識せず、自分たちは平和主義者だと思っている。これまた現実を見ずに観念論の世界に閉じ篭もっているのだから、もはや宗教の世界に近いと思いますね。
石破
憲法制定時、吉田茂首相が共産党の野坂参三議長の「国家である以上、自衛権はある」という主張に対し、「国家正当防衛権」があることを認めることは偶発的な戦争を誘発するがゆえに「正当防衛権自体が有害」と反論するという珍事がありましたが、現行憲法を素直に受け取れば吉田首相の回答になるのはやむを得ません。これではあまりに酷いということで、個別的自衛権は認めるようになりましたが、今度はそこから一歩も出られなくなってしまった。やはり憲法の桎梏が、日本を歪めていると言わざるを得ませんね。
日米安保と集団的自衛権の桎梏
保阪
さて、日本の命運を左右する最大の鍵は日米安保であり、自衛隊のあり方も当面の間は日米安保次第ということになるでしょう。しかし、日米同盟は未来永劫保障されているものではありません。今後、日米間でどのような利害の対立が顕在化してくるかは予測不可能ですし、同盟のあるべき姿は随時見直されなければなりません。まずはやはり集団的自衛権がキーポイントになりますね。
前原
そうですね。今の政府の見解では日本は集団的自衛権を行使できないことになっているので、アメリカは日本を守れるけれど、日本はアメリカを防衛できない。だから日本は米軍基地を提供する「義務」を負っている。
石破
私は防衛庁長官退任後のこの二年間、党防衛政策検討小委員会で委員長を務めてきたのですが、昨年半ばから現在に至るまでの最大のテーマは、まさにこの問題でした。とくに、憲法改正なくしての集団的自衛権の行使の手順については突っ込んだ議論をしました。有事法制に批判的な保阪さんの前で恐縮ですが(笑)、あくまで仮定の話として聞いてください。まず安全保障基本法に、例えば「国連憲章第五十一条に定めた自衛権を保有し、行使することが出来る」と記す。その先には「自衛隊法」と「武力攻撃事態法」があるのですが、両者とも集団的自衛権を想定していないので、それぞれ集団的自衛権に対応する規定を設けたバージョンを新たに作る。その上で日米安保と地位協定を改定する、という五点セットで初めて改憲なしでの集団的自衛権行使が可能になるんです。
保阪
集団的自衛権を考える「練習問題」として、よく北朝鮮の弾道ミサイルが挙げられますね。昨年の総裁選前、北朝鮮によるテポドン発射を受けて「先制攻撃論」なるものが取り沙汰されたことがありました。安倍さんと額賀防衛庁長官(当時)が、ミサイル発射前に基地を叩く能力(策源地攻撃能力)の所持について検討すべしと語ったところ、韓国政府が「先制攻撃論だ」と発言の趣旨を拡大解釈して大問題になった。その経緯はともかく、集団的自衛権の問題を考える上で格好の素材であると思います。発射準備が完了し、あと十分後に日本を直撃するかもしれないミサイルがあるのに、それを先に叩けないのか?ミサイルはロシアも中国も持っているのに、なぜ北朝鮮の場合だけ問題にするのか?と問われたら、果たしてなんと答えるか。こういう議論を具体的かつ帰納的にひとつずつ積み重ねて行くことで、集団的自衛権に関する議論も深まるように思います。
前原
そうですね。ミサイル以外でも、今日本に起こりうる危機は、まず第一に朝鮮半島と台湾海峡における「周辺事態」、第二に北朝鮮による弾道ミサイル発射、第三にテロ、第四に中国の海洋覇権拡大という、大まかに分けて四つに集約されます。
第一のケースなら、日本が米軍の後方支援をしていて武力行使の一体化にならざるを得ない事態に直面したとき、現行解釈では「もう協力できません」といって引き揚げなければならない。これでは日米同盟のみならず日本の安全保障にとっても極めて危機的な状況になってしまいます。ですから、一体となって支援するという枠組みがやはり必要になってくる。
第二の弾道ミサイルについては、アメリカに向けて慣性飛行中(ミッドコース)のものもあれば、ブースト(発射直後)段階でどこに撃ち込まれるのかわからない状態のものもある。こうしたミサイルを、どの段階で叩くのか?日本上空を通過してアメリカに飛んで行くミサイルを「これはウチに向けたものじゃないんで」と看過してしまうなら、先と同様に日米安保も日本の安全保障も根本から崩れてしまう。ブースト段階で発見したとしても、「集団的自衛権の行使はしないから何もしません」と言うのか?
こうして具体例を逐一検討していくと、やはり「集団的自衛権の行使が出来るような仕組みにしなければならない」という結論にならざるを得ませんね。これが私の帰納法です。
石破
これ『諸君!』だからいいけど、テレビではこうした話になると視聴率がガタガタに下がるんですって(笑い)。本来なら一時間半ぐらいかけて具体例を積み上げていかなければダメなのに、テレビは一分一秒が勝負の世界ですから、一分半ぐらいでインパクトのあることを二、三言、ズバッと喋らなければならない。でも、それで本当に理解できる人なんているはずない。ワンフレーズでインパクトを残す「小泉節」がもてはやされたことも関係あるのでしょうが、地道な論証を軽んじてポピュリズムに走るメディアの責任も大きいと思いますよ。一方、我々政治家ももっと勉強し、選挙区での講演等を通じて広く理解を得ていかなければならないと思います。
今の前原さんの説明に付け加えるなら、私はこう言います。北朝鮮が“脅威”とされるのは、おそらく中国やロシアと比較して段違いに「抑止が効かない」体制だからだ、と。「将軍様」を絶対者として崇め、「米帝は獣以下」と罵倒し、「将軍様が奇跡を起こして日帝どもを追い払った」などと子供の教科書に記述し、「たとえ国が滅んでも」云々と大真面目に言っている。その様子をコミカルに捉える人もいるけれど、六十数年前の戦争前夜の日本の相似形ではないですか。少なくとも私には、「六十数年前の日本より今の北朝鮮のほうがクレバーだ」と言い切る自信はない。だから弾道ミサイル基地攻撃能力を検討する価値は十分ある。
しかし、ミサイル発射基地がどこに存在するのかを特定する情報を持っているのはアメリカです。日本は F15 という迎撃と言う点に限定すれば世界でも高レベルの戦闘機を持っていますが、叩く場所がわからなくては何の意味もありません。ならば日本もアメリカ並みの情報衛星を持てばいいかというと、そう簡単な話ではない。
日本はアメリカ離れできるのか?
石破
最近、昭和三十年八月の日米会談の日本側議事録が指定解除になったので取り寄せてみたのですが、それを読み進むうち、非常に興味深い記録に行き当たりました。日本側の出席者は鳩山一郎内閣の重光葵外相、河野一郎農林相、岸信介幹事長など七名、対するアメリカ側はアイゼンハワー大統領政権のダレス国務長官ら五名が出席しています。この席で重光は、共産主義勢力の躍進の危機を指摘しつつ、日本国憲法の誤った解釈により自衛のための武力すら持てない状況にあること、米軍の世界戦略のために日本側は基地提供など相当な負担を強いられていることなどを列挙した挙句、現行条約を廃して日米相互防衛条約に改正すべしと迫っています。そればかりか、「日本国とアメリカ合衆国との間の相互防衛条約試案」までを添付し、西太平洋における相互防衛と米軍の日本からの撤退まで提案していたのです。
これに対し、ダレスは「日本は米国を守ることが出来るか。たとえばグアムが攻撃された場合はどうか」「現憲法下において相互防衛条約が可能であるか」と疑念を露にするものの、日本側は共産主義勢力の伸長を持ち出して食い下がります。当時は砂川闘争など反米・反基地闘争が盛んでしたからね。結局、ダレスが時期尚早であるとして一蹴しました。国務省極東局がダレスに当てた進言では、「重光の提案は、アメリカが望む集団安全保障に向かう点では一歩前進だが、日本や日本の周辺に『無制限に米軍を配置する権利』に比べると価値がない」と、その理由が示されています。
なんとも大胆な提案ですが、戦艦ミズーリの看板で降伏文書に調印した重光が、主権回復への闘志をしたたかに燃やし続けていたことにはなお驚愕を禁じ得ません。この交渉から半世紀が過ぎ、自衛隊の能力は格段に上がりました。世界情勢も当時とは異なり、地域紛争のリスクが上昇する中で米軍もトランスフォーメーションに必死です。にもかかわらず、重光ほどの情熱を持って日米関係のパラダイムを積極的に変えて行こうという政治家は不在です。日本側から積極的に働きかけない限り、日米関係は絶対に変わりません。問題は、その気概が日本側にあるかどうかです。
保阪
昭和三十年八月の会談は、確かに歴史的な意味を含んでいますね。この議事録は党内の方々には読ませたんですか?
石破
ええ、この議事録の要旨を抜粋して配布したところ、しばらく会議室が静まり返りましたよ。半世紀も前に我々の先人はこんな大胆な提案をしていたのかという驚き、それと自分たちは何も考えずに旧来のシステムを安易に踏襲して来てしまったのだという反省からでしょう。ただし、重光がアメリカを怒らせてしまった様子をまざまざと目にした岸は、旧安保条約を完全な相互防衛とまでは行かなくとも、より双務的なものにすることで妥協し、それが結果として現在の日本の繁栄に繋がっているのは皮肉ではありますが。
前原
・・・われわれも思わず沈黙してしまいますね(笑)。先程申しあげた防衛省移行記念式典での中曽根さんの演説ですが、もし私が演説できたとしたら「米国との関係を良好に保ちつつ、しかし基本的にはわが国を自前で守れるような仕組みにして行こう」と盛り込みたいと思いながら話を聞いていたんです。
ただ現実を見れば、六十年安保から数えても四十七年の歳月が過ぎており、この間に堆積した歴史を差し置いて唐突に「明日から自衛隊だけで日本を守ります」と言うことは出来ない。日本国政府は膨大な債務を抱えており、とてもじゃないが一国による完全な防衛力整備には資金的余裕がない。核武装も難しい。安全保障を支える足腰たるインテリジェンスは脆弱で、衛星情報もヒューミントもアメリカにおんぶにだっこです。防衛産業も発達していませんし、基盤の弱さを一朝一夕で解決するのは不可能です。
こうした現実を認識した上で、今われわれがしなければならないのは、今後数十年はアメリカと良好な関係を保ちつつ、日本が主権国家としての矜持を取り戻すための布石を打っておくことではないでしょうか。布石の第一は米軍基地における「主権回復」。沖縄をはじめ、「占領」された土地がいまだに治外法権的に米軍の下で管理されていますが、米軍が管理するという現行の地位協定の条項を変え、あくまで日本が管理して米軍に貸与するという仕組みに変えなければならない。次に航空管制権を完全に取り戻すこと。いまだに首都圏の空の大半が横田基地の管制権下にあり、民間機が遠慮しながら飛ばなければならないのは異常な事態です。さらに、インテリジェンスの充実と防衛産業の育成も課題です。今からこれらの準備をしたところで、私や石破さんの目が黒いうちに成果を見届けることは出来ないでしょうが(笑)、後世の人々が「あの時、先人がこちらに舵を切ってくれたんだ」と判断してくれる程度の仕事をしなくてはいけないと自らに言い聞かせたいですね。
「アジア・太平洋版 NATO 」を
保阪
ぜひ歴史的視野を持って考えてほしいですね。アメリカとの“蜜月”についていえば、最近、イラク情勢の混迷ぶりなどを見ていると、アメリカと命運をともにすることは必ずしも日本の国益とはならないとも思えます。かつて陸軍が「統帥権」の名の下に暴走したといういきさつがありましたが、「世界の警察官」を自称するアメリカが旧陸軍的存在になるのではという恐れも感じます。
前原
それは大いにありますね。あまりにもアメリカの安全保障戦略にがっちり組み込まれてしまうと、自動車や農作物など貿易においても足枷になり、日本の国益に合致しない選択をとらざるをえなくなる部分が出てくるでしょう。少なくとも交渉の切所においては「喧嘩別れするつもりはないけど、今回はちょっと別の道を行かせてもらいまっせ」と啖呵を切れるぐらいの力量を日本が備えていることが必要です。ただし、アメリカもそう簡単に日本の袖を離さないでしょうね。
じつは私自身にも「二・二六事件」なるものがありましてね。イラク戦争の直前の0三年二月下旬にアメリカを訪問した時のことです。当時、イラクは査察の指針を定めた国連安保理決議一四四一号への違反が指摘され、 IAEA も追加査察を求めるなど緊迫した情勢でしたが、これらの条項に武力行使に関する表現は含まれておらず、国際社会もイラク攻撃には否定的でした。そこを無視してアメリカが攻撃に踏み切るのでは?というのが焦点だったわけです。私はネクスト・キャビネットの防衛担当として訪米し、武力行使しないようクギをさしておくつもりでアーミテージ国務副長官(当時)に面会したのですが、こちらがイラクの話をしている最中に突然、「北朝鮮のミサイルに対し、日本は守る術があるのか?」と切り返してきた。「いや、ない」と私が答えると、アーミテージは満面に笑みを浮かべて「日本への攻撃はアメリカへの攻撃とみなす。だから全幅の信頼をアメリカにおいてほしい」と言い放ちました。要は、「お前たちは自力で国を守れないんだから、イラクのことでも言うことを聞け」と暗にほのめかしているわけです。これがちょうど二月二十六日。私が日米同盟の現実の厳しさをいやというほど思い知らされた日です。
石破
私はまさにそのときの防衛庁長官でしたから、同様の思いをしましたよ。ただし、あの時は他の選択肢はなかったでしょうね。フランスやドイツは格好良く反対して見せましたが、フランスは核を持っているし、ドイツは冷戦時に国内の反対を押し切ってパーシングUを配備しているし、両国とも NATO での強い紐帯がある。ところが日本の同盟国は唯一アメリカしかなく、利害関係の多くが重なっている以上、反対は出来ません。しかも、アメリカは良くも悪くも徹底した民主主義の国ですから、アメリカが一番苦しいときに日本は何もしてくれなかった、理解すら示さなかったとなると、すぐに議会に民意が反映され、今度は日本が苦しい時に撥ね返ってくる。支持するより他なかったでしょう。
そう考えてくると、やはり日本は集団的自衛権行使を前提とした上で、オーストラリア、ニュージーランド、インドあたりを含めた複数国家との安保同盟関係「アジア・太平洋版 NATO 」を構築するのが「普通の国」として将来あるべきひとつの姿かと思います。
しかし、当面目標にすべきは、日本がアメリカにとって絶対必要不可欠の存在になることです。日本なくしてアメリカの世界戦略は成り立たないという関係に持ち込めれば、アメリカとて日本の意向を無視できません。単に基地を貸しているというだけでなく、第七艦隊と共同オペレーションを遂行できるぐらいの存在感を出せればよいのですが。
ただ、私は前原さんと違って、やはり自分のこの目で日米関係が変わるのを見届けたいなと思うようになりました(笑)。
保阪
私の世代では無理でしょうが、お二人の時代では変わらざるを得ないと思いますよ。今日は有難うございました。
以上
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