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◆「核論議−是か非か」(産経新聞・朝刊 平成18年11月19日(日))◆

―「非核」変更は空理空論

 私は「NPT(核拡散防止条約)体制や日米安保条約は堅持すべきであり、その前提で日本は核兵器を保有すべきではない。今、議論することも好ましくない」という考え方に立っていた。しかし、少なからぬ人たちが「なぜ日本は核を保有すべきではないのか。まして、なぜ議論することもダメなのか」との思いを抱いている。

 米ソ冷戦時代には、2超大国がお互いの国を何回も破壊できるだけの核兵器と運搬手段を開発、配備し、「恐怖の均衡」と呼ばれる状況を作り出した。加えて、1972年には両国間でABM(迎撃ミサイル)制限条約が取り決められた。相手からの大陸間弾道弾を打ち落とす迎撃ミサイルを持てば、より第一撃への誘惑が強くなるので、お互いが迎撃ミサイルを持たない、あるいは制限しようという妙な合意が交わされた。

 では、日本と北朝鮮との間で恐怖の均衡は成り立つのか。北朝鮮がいったん、核を使ってしまえば国際社会の制裁や攻撃にあい、経済支援どころか体制もたちまち崩壊してしまう。しかし、北朝鮮は核保有を外交カードとして他国と交渉している。金正日総書記は核保有国である米国や中国に対しても、瀬戸際外交を行っている。北朝鮮のような国やテロ組織といった非対称的な脅威には核抑止論は基本的にあてはまらない。

 北朝鮮は、NPTが不公平である、あるいは二重基準(ダブルスタンダード)だと批判する。確かに、米露中仏英といった国々には核保有を認め、新たな核保有国を認めないというのは、聞きようによっては虫の良い話だ。しかし、第二次世界大戦によって国際社会の秩序が決まり、それをベースに戦後世界の安定を図るために作られたのが国際連合であり、NPTを含むさまざな条約、システムだ。不公平や二重基準を解消したいのなら、戦後秩序をもう一度変えるような「力」(例えば戦争)が必要となる。

 日本が核を保有すればNPTから脱退しなければならない。国際社会からのさまざまな制裁を受けるだろう。同時に日本自身がNPT体制を脆弱にする。翻って北朝鮮やイランの核開発・保有を認めざるを得ない状況を作り出してしまう。

 日本の核保有論議は、米国にも波紋を広げている。私も国政に身を置いて約13年になるが、ホワイトハウス、国務省、国防総省、議会、多くのシンクタンクや大学などで、日本の核保有を認める、あるいは積極的に擁護する話はいまだかつて聞いたことがない。むしろ、日本に対して、軍事的に常に比較優位を保ち続けていたいと考えている。

 日本の核保有は、同盟関係の解消も含めた根本的な日米関係の見直しを意味する。米国が提供している抑止力は、核の傘だけではない。敵の基地を攻撃できる「矛」の能力は日本にはなく、米国だけが持っている。北朝鮮によるミサイル発射や日本沿海に出没する不審船の情報も、一義的には米国から提供される。北朝鮮のミサイルから日本を守るミサイル防衛網も、米国によるところが大きい。

 外交面においても「米国との同盟関係を結んでいる日本」という観点から、東南アジア諸国連合(ASEAN)などアジア諸国から日本が一目置かれている面も否定できない。

 米国との同盟関係を見直すことも、長い眼で見れば一つの選択肢かもしれない。しかし、1951年の日米安保条約締結以来55年間、安全保障も経済もこの体制でやってきて、抜き差しならない協力関係を両国間で築いてきた。もし、見直すのであれば、同じく数十年単位で物事を考えなければならない。しかも、莫大な財政赤字を抱え、少子高齢化が急速なスピードで進む日本にとって、大幅な防衛費の増額は避けなければならない選択肢だ。

  現在の「核を持たない」という方針を変えるのは、空理空論でしかない。別の言い方をすれば、日米関係を白紙にしてまで、今すぐ日本が独自で核を持つ意義は全く見当たらない。日本の核武装論はあらゆる観点から検証しても非現実的である、というのが私の結論だ。