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◆「 予期せぬ出会い 」
(JTBパブリッシング発行『にっぽん列島鉄道紀行 15 号』(山陰本線特集号)2006年10月10日.15号)◆
この文も今、新幹線の中で書いている。地元・京都から国会に送っていただいて12年余り。もう、何百回と新幹線に乗ったことだろう。だが、飽きることは全くない。それどころか私にとって、新幹線に乗っている時間は至福の時だ。寝たり、本や資料を読んだり、食事をしたり、あるいはボーっと車窓の風景を眺めたり。休息を取り、頭を切り替え、時には戦闘モードに自分を高めていく。こんなに有難い空間と時間はない。
流れ過ぎる風景を見ながら、子供の頃を思い出す。小さい時から、とにかく列車に乗ることが好きで、京都と両親の故郷である境港を毎年夏、往復することが楽しみだった。一人、別行動で各駅停車に乗る。京都から米子まで、各駅停車だとおよそ8〜9時間かかるので、当然、家族は誰も付き合ってくれない。日中の鈍行なら京都発は朝9時過ぎ。夜行列車なら夜の10時過ぎだ。当時の牽引機はDF50というディーゼル機関車だった。私の大好きな蒸気機関車を放逐していった、いわば憎き戦犯だが、不思議なものでDF50もいよいよ引退となると、紀伊半島や四国まで出かけて行き、勇姿をカメラに収めて別れを惜しんだ。加速するときや坂では「ポンポンポンポン」と独特のエンジン音を唸らせる。
客車は旧型。列車が完全に止まらなくても乗り降りできる、あの客車だ。薄暗い車内に木製の椅子。ブルーのシートは擦り切れ、そして色褪せている。冷房はないから夏は窓を開け、涼風を顔全面に受けながら風景を眺める。レールの継ぎ目では車輪が軽快なリズムを刻む。各駅停車だから当然、ほとんどすべての駅に止まる。山陰線は単線区間が大部分で、列車の交換はもちろん、特急・急行列車に追い越されるのを待つため、相当長く停車することも珍しくない。今なら多少イライラするのだろうが、その頃は時間を超越し、乗ること自体に楽しみを見出していたので、全く苦にならなかった。それどころか、どんな列車がやってくるのだろうかと交換・追い越しそのものを楽しんでいた。
鉄道ファンなら誰でも、同じような経験があるはずだ。偶然、予期せぬ列車や機関車に出会うことが。こんなことがあった。草津線経由の急行「志摩1号」に乗って、京都からお伊勢さんに初詣に行ったときのことだ。列車が柘植(つげ)駅に進入したとき、対向ホームに奈良方面行き荷物列車が止まっていた。先頭の蒸気機関車はランボードが白く塗られ、メインロッド(動輪の主軸棒)は赤く化粧され、そしてデフ(除煙板)にはタバコのピースにデザインされているような鳥の金属板が取り付けられている、奈良機関区の看板機関車、D51906(D51型の906号機)ではないか。鉄ちゃんの心得として、いつもカメラを手元に置いているので、すぐに構えることはできたのだが、興奮してカラダが固まり、シャッターを押すことができない。だんだんと荷物列車は後ろに流れていく。「志摩1号」が停車し、ドアが開くと同時にカメラ片手でホームに飛び出したが、ドラフト音と煙を残し、D51906牽引の荷物列車は行ってしまった。この時の悔しさと自責の念、そして荷物列車が遠ざかっていく風景を忘れることができない。この機関車に出会ったのは、それが最初で最後だったので、私のアルバムにはD51906の写真は一枚もない。
色々な人と、風景と、列車と、そして機関車との出会い。一つ一つがリアルに蘇る。セピア色ではなく原色の素敵な思い出だ。だから、列車の旅はやめられない。
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