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◆「民主党が目指す社会像」(時事通信社刊『世界週報』 2006年5月2日)◆

―民主党の前原誠司代表は3月13日、内外情勢調査会の全国月例懇談会で「民主党が目指す社会像」と題して講演した。前原氏は3月末、偽メール事件の責任を取って辞任したが、講演では“前原民主党”の存続を前提に追及すべきテーマを掘り下げている。(文責・編集部)―

まず、お詫び申し上げたい。民主党の永田寿康議員が取り上げたメール問題で、政治に対する不信を招いた。これはすべて代表である私の責任だ。

野党第一党の責任は、対案により政権を担う意思を示していくと同時に、政府与党の様々なスキャンダルを徹底的に追求していくことだ。事件により、その勢いが削がれてはいけない。

今、日本にとって大切なことは何か。最大の問題の1つは、財政を解決するための道筋をつけていくことだ。

小泉純一郎首相は「小さな政府」と言っている。我々は単なる小さな政府論争に与しようとは思わない。私が述べてきたのは「効率的で人に温かい政府」だ。

単に小さな政府ではなく、効率的でなければならない。同時に、財政再建をするだけではなく、お金を本当に必要な分野にどう集中的に向けていくかだ。

改革競争あるいは対案路線は当初、「それでは与党との違いが分からない」という批判を受けた。しかし半年経って、効率的な政府を目指すのは当たり前で、それを国会で示して政府与党に仕向けていくことが野党第一党の仕事だという思いになってきた。我々が提案し、与党が受け入れるなら、それは国民の将来に資することだ。

例えば議員年金の廃止は、わが党から出した。結果的には廃止と言えるようにはならなかったが、与党も廃止に乗り出し始めた。 

早期勧奨退職があるから

特別会計、公共事業、分権、省庁の再々編、公務員制度の5分野での取り組みが重要だ。

公務員制度の問題には5つのポイントがある。

1つは平均給与が民間と比べて高いこと。2つは人数が多過ぎること。3つは待遇・給与を決める基本権を認めること。

4つは分限免職の問題。市町村合併が進んで、地方自治体の公務員数は減っていく。さらに国と地方を合わせて公務員の数はこれだけ要らないとなった時には、分限免職規定を運用しなくてはいけなくなる。国家公務員法にも分限免職規定はあるが、国会決議により行使しにくくしている。これは政治の責任だ。

5つは、公共事業の問題にもかかわってくるが、早期勧奨退職制度の廃止だ。

早期勧奨退職制度があるが故に天下り先を確保しなくてはいけない。そのため、防衛施設庁のみならず各役所で天下り確保のための官製談合のようなものが行われ、特別会計も含めて公益法人、独立行政法人(独法)に多くの補助金を入れている。

会計法29条には、政府調達は原則として一般競争によらなくてはならないとかいてあるが、公益法人、独法は多くが随意契約だ。ひどいのは、随意契約を受けて公益法人をトンネルにして仕事を丸投げしている。

これは早期勧奨退職制度がもたらした大きな税金の無駄遣いだ。公益法人には5兆5千億円以上が補助金として入っている。

公益法人は天下り禁止の抜け穴だ。国家公務員法では、退職後2年間は受注企業に天下りできない。しかし、防衛施設庁の事件で明らかになったように、2年間傘下の公益法人に天下りさせ、2年後に受注企業に天下りしている。羽根休めの場として公益法人が利用されているわけだ。

様々な役所でも同じような構図が発見されている。

国、地方、様々な外郭団体を含めた公共調達を仮に40兆円とした場合、平均落札率が大体95〜96%になっている。一般競争入札でこれであり、指名競争入札や随契だと、言わずもがなだ。1割の競争性を高めて、1割コストが削減できれば4兆円になる。

塩川正十郎元財務相は特別会計を「母屋でおかゆをすすっとるのに、離れですき焼きを食っとる」と問題視されたが、今や独法とか公益法人は離れに地下室を造り、豪華な食事をしている。だんだん<ステルス化>している。

一般会計を厳しくしたら特別会計に行き、特別会計の規模は一般会計の約6倍だ。特別会計もチェックの対象になってきたら、今度は公共法人や独法という形で<ステルス化>して、天下り、税金の無駄遣いの温床が拡大している。 

特別会計は他国ではあまり例を見ない。特別会計を一般会計に統一をする中で改革していくべきだ。

政令市選出県議に仕事は

市町村合併が進み、3千3百あった市町村が千8百余りにまで統合された。これにより地方議員の数は少なくなる。結構なことだ。

あとは分限免職などの規定を機能するような仕組みにしていくことだ。合併をしたのだから、職員についても合理化をしなくてはいけない部分はあろう。

しかし、他に問題はある。一つは、市町村合併で増えている政令指定都市の位置付けだ。

私は1期足らずだが、政令指定都市である京都市から選ばれて京都府議会議員をした。暇で権限がないことに唖然とした。府の権限が政令都市である京都市に移譲されているからだ。

京都市内に府の仕事は何があるか。府立高校、府警、国から権限委譲された一級河川―仕事は3つだけだ。

学校、保育、社会資本整備、福祉などは市に移譲されている。政令都市から選出された道府県会議員が悪いというのではない。仕組みとしておかしい。

神奈川県には横浜と川崎、政令市が2つある。県会議員の半分以上が政令市から選出されている。仕事のない議員が神奈川県議会を構成しているわけだ。

そうした道府県会議員はどう位置づけにしていくのか。最終的なゴールが決まらないまま三位一体改革を進めているが、それでいいのかどうか。

「改革、改革」と言ってきた小泉政権の5年近くで、霞ヶ関の本当の改革―税金の無駄使い構造をなくし、官による行政・政治の支配をなくしていくことに本当に取り組んだのか。できてないとすれば、分権も骨抜きになる。

国があり、地方支分局がある。これは無駄の温床だ。地方支分局にメスを入れることで、公務員数をかなり実質的に減らせる。 国、地方支分局、そして都道府県、政令市、中拡史、市町村・・・こういう多層的な行政の仕組みの中で、補助金とか交付税とかが非常に絡み合った形で、効率的な税金の使い道がなされない。

補助金、交付税の仕組みは本当に複雑だ。 私の選挙区に、寂光院や三千院のある大原という観光地がある。そこで、上水しかないので、下水を造ろうと、5,6年前から議論を進めてきた。その時、3つの選択肢があることが分かった。1つは国土交通省の補助事業で、一般的に言われる下水。2つは農排水と一緒に処理をする農林水産省の補助事業。今はなくなったが、厚生労働省にはコミュニティー・プラントといい、地域完結型処理施設の補助事業があった。この3つから選ぶこととなった。

企業経営からすれば、とても信じられないようなことが、補助金や交付税措置では起こる。

いかに地元の負担が少なくて済むのか。つまりは補助金の高いものをどう引っ張ってくるのか―それが仕事のできる国会議員かどうかの判断につながる。

トータルとして、どれが安いのか、効率的なのか、ランニングコストも含めてどうなのかといった経営的な検証は全く働かない。

補助金や交付税も関しては、複雑で、がんじがらめの霞ヶ関のコントロールの中に地方は置かれている。結果として、大きな無駄遣いの構図が残っている。

私が5つの改革の中で省庁再々編を上げているのは、この点にある。霞ヶ関が本気で「自らの役所がなくなってもいい。分権をしましょう」となるかどうか。究極の行財政改革は分権にある。

制度論では手遅れの教育

百年以上先を考え、日本をどう存続をさせるかを考えた時、「人に温かい政府」の1つの本質は、人への投資をどう無駄を削りながら進めていくのかに尽きる。

その一つの柱は社会保障であり、もう一つは教育だ。

教育を抜本的に見直すには、2つのアプローチが必要だ。1つは制度設計なり、憲法や教育基本法にどういう考え方を盛り込んでいくのかという制度論だ。しかし、制度論だけでは、日本の教育はかなり手遅れの状況になっている。

もう一つは運動論。これで変えていかなくてはいけない。

「愛国心」という文言を書くかどうかと教育基本法問題が盛んに議論されている。私は「愛国心」が書かれることに何の違和感もないし、大事なことと思う。

しかし「愛国心」は教育の現状からいうと遠すぎる。親を思いやる、近所の人たち、友達を思いやる―そういう気持ちが欠けている人たちに一挙に「愛国心を持て」とは無理な話だ。

公共心、隣人愛、あるいは倫理観、道徳観かもしれない。そういうものを、どう教育の中にインプットをしていくのか。

教育委員会がうまく機能しているとは思えない。教育委員会は教育を画一化し多様性を阻害してしまっている。

そういう意味で憲法、教育基本法、教育委員会の在り方を見直していくことは重要だ。

コミュニティー・スクールを視察して素晴らしいと思った。

今までは子供に何か問題が起きたら、「学校が悪い」と保護者が批判する。学校は「家庭教育がなってない」。学校と家庭が対峙する関係であったが、コミュニティ―・スクールは一体となって子供の教育に責任を負う仕組みになっている。

今の日本の実態に合っている。

1つは、自分の家庭での子供に対する接し方が間違っていないのを確認する場になる。これからは親も含めた教育が必要だ。
2つは、保護者や地域の方々が先生を評価することで、教育委員会に任せるだけではない仕組みだ。
3つは、地域の方々が学校、子供の教育、地域の安全にかかわれるような場を与えられた。

来年から団塊の世代がリタイヤする。団塊の世代が生き甲斐を持って社会に貢献していける仕組みを、行政はどう用意するのか。その意味でもコミュニティー・スクールは今の時代に合っている。

私は学校週5日制を見直すべきだと述べてきた。土曜学校を汎用化していくべきだ。総合学習を制度化して実質週6日にしていく中で、倫理観、道徳観、社会性を培養し、学力低下に歯止めを掛けていかなければいけない。

安保議論から逃げずに

日米同盟関係を基軸にし、自衛隊を必要と位置付けていく中で、日本の外交・安全保障をどうハンドリングをしていくのか。今の政府が議論していない、あるいは足らざる部分を指摘したい。

1つは、国家戦略としての総合安全保障という概念が全く欠落していることだ。

東シナ海のガス田、油田開発については30年以上前に帝国石油などが鉱業権を申請していたが、外務省が先送りしてきた。しかし、中国は徐々に布石を打ってきて今のような問題が起き、縦割り省庁の間にポテンヒットを打たれる状況の外交が続いている。

エネルギ―、食料に対する総合安全保障が全く欠けている。この視点で考えた時に、自ずと対中外交のスタンスは変わってくる。

中国では今、大気汚染、水質汚染が凄まじく広がっている。それは中国の問題では終わらない。 隣国のみならず世界全体の環境汚染、温暖化に大きなマイナス要因となっている。

国家戦略として考えれば、靖国参拝の答えは自然に出てくる。東シナ海の問題もトータルな戦略ビジョンを示せば、相対的に小さな問題になる。

私は中国で「中国の軍事力に脅威を感じる」と話した。それには様々な議論があるが、5年、10年経てば明確になっている。

沖縄トラフまでは自分たちの排他的経済水域だと言っている中国との考え方の違いがある中で、放置しておいたことによって衝突が起こる可能性はゼロではない。

エネルギー安全保障に環境問題を加味して考えれば、包括的な環境、エネルギー、共同開発、共同シーレーン防衛をなぜもっと早くにできなかったのか。これは戦略性の無さからくる大きな問題点だ。

2つ目はイスラムへの対応だ。日本の独自性が問われている。

自民党政権はパレスチナ問題にはODAを柔軟に運用して、非常にうまく対応してきた。

しかし、米国が今、ハマスに強硬な姿勢をとろうとしている。日本として、どう決断を下すのか。

イランが核開発を続けていった時に米国あるいはイスラエルが以前イラクに行った空爆をしないと言えるのかどうか。その時、日本はどういう対応を取るのか。

3点目は、周辺事態の問題だ。総合安全保障の問題では外交が前面に出るべきだが、日本の安全保障には、常に周辺事態を考えておかなければならない。

そのためにガイドラインを見直して、周辺事態法を作った。しかし、この法律では、後方地域支援をしていて武力行使が一本化した時には、集団的自衛権の行使につながるから後方地域支援はやめなくてはならない。

周辺事態とは、「準日本有事」だ。今の戦争ではいつどこで武力行使が一体化するか分からない。その時々に中断していたら、日本の安全は守れない。

私が集団的自衛権の行使を認めるべきだと述べているのは、周辺事態に関してだ。周辺事態の際、日本の安全を守れるため集団的自衛権の見直しを言うことが何が問題なのか。 そういったことも逃げずに議論をすることが必要だ。


以上