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◆「夢にまで出てくる集煙装置装備のD51」(株式会社ネコ・パブリッシング刊 『Rail Magazine 〜特集 国鉄本線蒸機廃止30年!』平成18年2月 23巻第2号)◆

蒸気機関車全廃の時期が、中学受験、そして新たな学生生活のスタートと重なり、北海道で最後の蒸機に出会えなかったのは今も悔やまれる。私が現役最後の蒸機に出会ったのは浜田機関区で、さよなら運転を既に終えたD51 488と620の2輌だった。もう既に火は落とされ、プレートも外されていたので、厳密には現役機ではない。

今でもよく覚えている、実家のある京都から両親の里である境港に夏休みを利用して遊びに行った時のことを。一人、急行〈白兎〉に乗った。親戚は、私が米子で乗り換え、境線で到着する時刻を予想して、境港駅でずっと待っていてくれたそうだ。いつまで経っても私は現れない。それもそのはずだ。私は米子では降りず、米子以西で走っていたD51を求め、玉造温泉まで足を伸ばしていた。以前、紀伊田辺で出会ったD51 158、長工デフのD51 473に会うことができた。境港に着いた時は、とっくに暗くなっており、大変な騒ぎになっていた。

大目玉を食らったのはご愛嬌。それどころか翌朝、伯父が仕事で浜田まで行くというではないか。懲りずに頼み込んで、早朝3時に出発する軽トラックに便乗させてもらい、一路、浜田に向かった。途中、D51とすれ違いそうな時間に休息を強要する。最初は小田と田儀間の大築堤付近。次は温泉津駅といった具合だ。伯父が仕事をしている間、浜田機関区でじっくりと撮影。D51が数輌とC56が2輌。集煙装置付きの126と150がいた。しっかりと脳裏に焼き付けた。浜田からの帰途、最後に私が目にした現役蒸機は、宍道湖畔で撮影したD51 145だった。これも紀伊田辺で出会ったことのあるカマだ・・・。

30年余り経った今も、鷹取式集煙装置をつけたD51が時々、夢に出てくる。特によく出会ったD51 442が。関西線か山陰線、あるいは伯備線で保存機の復活は叶わないものか。また、C62の2号機と3号機、ゴールデンコンビによる函館本線山線の重連ニセコは見果てぬ夢なのだろうか。奇跡を、私は信じたい。


以上