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教育基本法に関する特別委員会 2006/11/14

■森山委員長
次に、前原誠司君。

■前原委員
おはようございます。民主党の前原です。

きょうは、伊吹文部科学大臣そして民主党の提案者に対して、通告をしております問題につきまして質問をさせていただきたいというふうに思います。

教育基本法の問題、内容が議論されているわけでありますが、まずあらかじめ、私の所感を伊吹文部大臣また民主党の法案提出者にお話をしたいと思います。

もちろん、この教育基本法自体の改正については私は大事な案件だと思っておりますし、この委員会でも議論されてきましたように、民主党も対案をしっかり出して、そしてどちらがすぐれているものかということについて議論をするということになっているわけであります。ただ、そういう教育基本法自体を見直すことに私は異存はありませんけれども、私の感覚からすれば、この今の教育が抱えている問題というのは現場で起きているんですね。したがって、法律とか制度を変えて一朝一夕で今の教育の問題が解決するなんということは全くあり得ないというふうに思っております。

ということは、これらの問題というのは、いじめの問題、未履修の問題もそうであります、学力の低下の問題、さまざまな問題があるわけでありますけれども、教育基本法を改めなければ解決しない問題ではない、また、教育基本法を改めれば解決できる問題でもない、こういうことで、私はぜひ運動論で教育の問題というものを、この教育基本法とともに、運動論の重要性、現場の重要性という観点からきょうは質問をさせていただきたいと思います。

つまりは、学校を変える、現場を変える、そして先生の意識を変える、そして保護者の意識を変える、地域の人々の意識を変える、こういった運動論というものを中心に私はこれから議論をさせていただきたいと思います。

まず、その運動論として、教師の評価の問題についてお話をさせていただきたいと思います。

教師の教える力についてでございますけれども、文部科学省は、教員の不祥事の多発を受けまして、二〇〇〇年から指導力不足教員の認定と研修を始めております。二〇〇五年度は、全国の公立小中高等学校の教員、約九十万人いますね、九十万人のうち指導力不足の教員の認定を五百六名して、そして百十六名が研修を受けて現場に復帰している。百三名については依願退職をして、六名は分限免職であるということであります。約九十万人ということを分母にいたしますと、指導力不足の教員は約千八百名の先生のうちに一人しか生まれていない、こういうことになるわけです。

後で教育委員会等の問題についても議論をさせていただきたいと思うわけでありますが、まず文部科学大臣にお尋ねをしたいのは、文科省が実施をしている、このいわゆる指導力不足の教員の認定の数、これは実態と合っているのかどうなのかということについて、伊吹大臣は先般の安倍内閣発足のときになられた新しい大臣でありますので、その前のことについては責任を、もちろん継続しておられる立場にあるかもしれませんが、しかし私は、そこは率直なお立場で、これは実態に即した数なのかどうなのかということを御答弁いただきたいと思います。

■銭谷政府参考人
指導力不足教員の問題でございますけれども、現在、各都道府県、政令市で行っておりますシステムは、指導力不足が疑われる教員につきまして、任命権者である教育委員会に校長が申請をいたしまして、各教育委員会で設置をしている判定委員会において当該教員を審査する、その上で、この判定委員会の意見を受けて教育委員会が指導力不足の認定をするというシステムでございます。

もちろん、この指導力不足認定までの間に校長先生が教員についていろいろな指導、支援等を行って、改善が見られて申請に至らないというケースもあるわけでございます。

いずれにいたしましても、指導力不足と認定をされた教員につきましては、認定とあわせまして、必要な研修または分限免職処分等の措置が決定されるわけでございます。

数につきましては、ただいま先生からお話がございましたように、平成十七年度は五百六名という数でございます。

こういうシステムがまだ始まって間もないということもございますけれども、各都道府県あるいは政令市の教育委員会におきましては、こういうシステムをきちんと運用することによって先生方の指導力の向上ということをむしろ期待もし、また、本当に指導力不足の教員については、適切な研修そして措置ということを今心がけているところでございます。

■伊吹国務大臣
事実関係は今政府参考人が申し上げたとおりだと思いますが、一番最初に先生がおっしゃったように、制度を変えたから物はうまくいくわけでもございません。それはおっしゃるとおりです。特に、保守主義の根幹というものは、制度よりもその制度を動かす人間の力というものに一番大きくウエートを置きながら物事を考えていくというイズムですから、おっしゃっていることは私は全く同意見でございます。

それで、今の御質問について申せば、二つ問題があると思います。

一つは、小学校、中学校の公立の教職員については、都道府県が定める要領によって市町村の教育委員会が勤務評定の実施者となって実態を把握している、要するに、不適格な教師というものの考え方、これが一つあると思います。物を教えるのは非常に上手だけれども、全く児童の心情を理解しない先生もいるでしょうし、逆の場合もあるというその考え方の基準、これがどうか。この考え方の基準を都道府県教育委員会が今示しているわけですが、率直に言うと、今の法令の仕組みでは、そこへなかなか文部科学省としては全面的に入っていきにくいということですね。

この全体の教育行政の流れ、これは後で先生から御質問があるかもわかりませんが、その両方を考えてみて、私の印象からしますと、テレビを見たり新聞を読んだりしている一般の社会人としての印象は、ちょっと少ないんじゃないかなという気がします。

■前原委員
都道府県の教育委員会そして市町村の教育委員会の問題については後ほど議論させていただきたいと思うわけでありますが、今伊吹大臣からお話がありましたのは、不適格という考え方の基準については都道府県の教育委員会でその基準をつくっているけれども、それについて文部科学省は入っていけていないということでありまして、そこは、文部科学大臣が目指しておられるあるべき姿と我々のあるべき姿は恐らく逆方向だと思います。我々も、後でお話ししますけれども、かなり分権的な要素を入れていくべきだと思っておりますのでそこは違うわけでありますが、ただ、ポイントとして申し上げたいのは、基準をつくることは私は大事だと思うんです。それで、これは基準をどのように的確に運用するかということで、だれがそれをチェックするのかというところの問題が非常に大きいと思います。

それを議論する上で、私の事務所に来たある教師からのメールを文部科学大臣に少し御披露して、実態感覚というものを共有してもらいたい、こういうふうに思うわけであります。

うちの学年は二年生で、担任は四人いるのですが、今は女性二人で学年を支えています。主任の男性の先生と講師の男性の先生が子供をまとめられず、学級崩壊寸前まで来ています。校長やいろんな機関から、教育委員会だと思いますが、アドバイスとか相談を受けているみたいですが、担任本人や教育機関などとの連携、お互いが協力をして温かいクラスにしていこうという意気込みや的を得た教育活動に欠けるため、改善の方向には全く向いていません。疲れているのはよくわかるのですが、会議中にこの二人はしょっちゅう居眠りをします。やる気があるのかなと疑わざるを得ませんし、こちらが何回注意をしても全然よくならない。厳しく注意をすると逆切れをされてしまうようなありさまです。主任の方などは、あと一年で定年なのだからと、いいかげんにやってもいいだろうという内容の言動が見られます。

このメールは実名で来ておりますけれども、そういった報告というか、そういう訴えが来ているわけです。恐らく、伊吹大臣の地元の事務所や、あるいは多くの同僚議員のところにも同じような学校現場の生の声というのが届いているかというふうに思うのであります。

現場感覚ということになれば、千八百人に一人しか指導力不足の先生がいない、先ほど基準というものをどういうものに置くかというお話がありましたけれども、やはり徹底的に学校のレベルで指導力不足の教員を洗い出して、そしてそれを更生させないと、割を食う、損をする、そして不利益をこうむるのは子供でございますので、そういったところの仕組みというものをしっかり考えていかなくてはいけないというふうに思っております。

そこで、幾つかの質問をし、こちら側の提案も含めて、これについては民主党の提案者にもお尋ねをしたいというふうに思いますけれども、まずは文部科学大臣に、こういった不適格、先ほど実態よりは少ないんじゃないかという気がするということを御答弁されたわけでありますが、中教審においてはことしの七月に、免許の有効期限を十年として、そして、期限満了前の二年間に最低三十時間の講習を受けないと免許を失効させるという内容の答申を文部科学大臣に出されております。私学含めると百万人で、十万人ずつ十年で交代交代に、こういうことだというふうに伺っております。

先ほど大臣は、いわゆる指導力不足の先生については、実態よりもこの数は少ないと思うと。では、この中教審が答申をした内容で果たしてそういった問題は解決されるのかどうなのか。先ほど、それは文部科学大臣のお考えとして方向性は違うと申し上げましたけれども、これでもし不十分であるならば、どういったものをさらに付加してその指導力不足の教員の是正というものに取り組まないといけないと考えておられるか。その二点について御質問します。

■伊吹国務大臣
これは、後ほど民主党の提案者にも御質問になると思いますが、この法案が通った後、どういう教育行政の流れをこの理念法のもとにある法律でつくり上げながら、国会にお尋ねをして実施していくかということに私は大きく依存する面があると思います。

しかし、制度を変えても、先生が冒頭におっしゃったように、最後はその制度の中にいる人間の力にかかってくるんですね。ですから、松原先生がさっき御質問していただいて、教師になるときは宣誓をするんだということをおっしゃいましたが、民主党の提案者に後ほど聞いていただきたいのは、民主党もその松原提案を全面的に受け入れられるかどうかということをぜひ聞いていただきたいと思うんですが……(前原委員「質問に答えてください」と呼ぶ)いやいや、だから民主党もそういう提案を受け入れていただくのであれば、国会として、そういう先生をまずつくるんだ、そういうことで教師のスタートが始まるんだというところからやっていけば、私は随分よくなると思うんですよ。

ですから、例えば、今の十年というこの中教審の提案がいいのかどうなのか。これは再生会議でもいろいろ議論をしておりますし、今いろいろな事案が起こっております。そして、先生からも今いろいろなお尋ねがある。こういう国会でのやりとりも参考にしながら、最後は私がその判断をしていかねばならないと思いますし、今のままでだめだと言われた教師を十年に一度ずつ研修をしていくということだけですべてが直るかというと、必ずしもそれですべては直らないでしょう。だから、先ほど松原先生がおっしゃったようなことも直すための一つの立派な提案だなと私は思って、最初に申し上げたわけです。

■前原委員
民主党の法案については私が民主党の提案者と議論しますので、大臣はそこまで御心配いただかなくて結構ですから、私の質問だけにお答えをいただきたいと思います。

つまりは、今お認めになったように、この中教審の答申だけでは指導力不足の教員というのは直らないのではないか、やはりプラスアルファの部分が必要じゃないかということをお認めになったわけです。その一つの事例として宣誓ということをおっしゃって、まあ、一つの例とおっしゃったんでしょうから、それは一つの考え方かもしれませんが、私が議論したいのはそこなんですよ。

つまりは、十年に一度の免許の更新、しかも、二年間で三十時間だけで今の指導力不足というものを解消できるとはとてもじゃないけれども思えない。だから、そこをどのように具体的に変えていくのかというところを、やはりこの教育基本法という基本法を議論すると同時に、先ほど私が申し上げたことについて大臣が呼応していただいて、人間の力にかかっているんだ、つまり、基本法を幾ら仮にいいものをつくったとしても、最終的にはそれを運用する人の力にかかっているんだということであれば、先生も含めて、その人をどのように教育をしていくかということが大事なポイントになってくるわけであります。

大臣として、この委員会での質疑を見ながらということでありますが、この中教審の答申以外にどういうものを付加していけば、この指導力不足の先生というものの数を減らせるのか、あるいは逆に言えば、千八百人に一人という過小評価、潜在的な指導力不足の先生を浮かび上がらせて、そして指導できると思われますか。

■伊吹国務大臣
これはいろいろなやり方があると思いますが、各教育委員会で、結構やる気を出させている教育委員会もあるんですね。これはやはり人によると申し上げましたけれども、教育長の指導力とか、あるいは地域の学校協議会の対応だとかによって随分違います、率直に言って。ですからこれは、文部科学省が持っております現行の法律上の立場からいえば、そういう成功事例をできるだけ多くの教育委員会に学んでもらうとか、あるいは、担当の主事や何かに上京していただいて、御一緒に学んで、それをまた学校へ持って帰ってもらってやっていただくとか、そういうことがございます。

しかし、これは後ほど議論になると思いますが、私も行政官をやっておりましたけれども、やはり最終的には、予算権と人事権、それから法令の執行権、これを持っているところが、まさに先生がおっしゃっている、やる気を出して、いい教師をつくっていくという意欲がないとできないんですね。

ですから私は、この法律がお認めをいただいた後、少し、その辺の教育行政のあり方についてまた国会で議論していただきたいなと思っております。

■前原委員
民主党の提案者に伺いますけれども、教員の質の向上のためにはどういった仕組みが必要だと考えておられるのか、教育基本法の中身を含めて提案者の方に簡潔にお答えいただきたいと思います。

■藤村議員 
前原委員にお答えいたします。

まず私は、教員養成課程という、大学における教員養成の課程、これは相当重要な案件であると思います。

次に、今は、都道府県教育委員会が採用する教員採用試験、これは数倍から十数倍の倍率がある。すなわち、優秀な人が採れるにもかかわらず、教育委員会というややお役所的なところで採用するときにはどうしても点数で採ってしまって、いわば面接が非常におろそかになっていたりする。私は、もう十年来このことを主張し、今、民間の人事担当者がその採用試験に入ってくれるというふうな都道府県も出てきたようでありますが、そういうことも一つの改善要素であろうと思います。

そして次に、そこで本当はしっかりとした人材を確保しておれば余りその後の問題はないと思いますが、しかし、教員を研修するという意味では、今、初任者研修、五年研修、十年研修ですか、ずっとあるわけですけれども、この研修は非常に重要だと思います。

ですから、養成課程、採用、そしてその後の研修と、ここでしっかりとした先生になっていただくというのが一応の考え方であります。

先ほどの松原委員のお話でありましたように、教員が非常に崇高な理念を持って、全体の奉仕者という意味では、ちょっとほかの仕事とは違うという意味で、宣誓というのは一つの手かとは思います。何か、本当にそういう自覚を持ってもらうということも採用のときには必要かなと思っております。

■前原委員
教育行政のあり方をということで大臣はおっしゃいましたので、少しそこに踏み込んで議論させていただきたいと思います。

二点を大きなテーマとして意見交換、議論させてもらいたいと思います。一つは教育委員会のあり方です。もう一つは、先ほど大臣が言及をされました学校運営協議会、コミュニティ・スクール、これにつきまして議論させていただきたいというふうに思います。

教育委員会のあり方というのはこの委員会でもかなり議論をされてまいりましたけれども、最終的には、このあり方を見直さなきゃいけないというところでは一致している。しかしながら、そこの権限を、国に強化するのか、あるいは教育委員会そのものの権限を強化するのか、あるいは現場、学校に移していくのか、学校長に移していくのか、いろいろな考え方があるというふうに私は思うわけでありますが、教育委員会がうまく機能してこなかったということは、さまざまな事例で明らかであります。

この委員会でも再三再四取り上げられていました北海道の滝川市の教育委員会の問題、女の子が残念ながらいじめを苦に自殺をされるということでありましたけれども、この七通もの遺書については長期間無視をしていた。そしてまた、あげくの果てには辞任に追い込まれましたけれども、この教育長は、遺書じゃなくて手紙だということを抗弁した。そしてまた、そのコピーをしていた北海道の教育委員会がコピーを紛失していた。こういったことが明らかになっているわけであります。

こういう教育委員会の、その滝川市が特別かどうかということについては議論があるところだと思いますけれども、そういう市町村の教育委員会、都道府県の教育委員会のもとで、例えばあきれた統計としては、過去七年間いじめによる自殺はゼロであった、こういう発表を文部科学省はしているわけですね。ですから、やはりこの教育委員会というものにメスを入れなければ現状の教育というのは直らないということは、これはだれもがお感じになっていることだというふうに思います。

さてそこで、この教育委員会というものについて私のまず認識を申し上げたいと思います。

一つは、政令都市は、これは権限が移譲されていて人事権もありますけれども、普通の市町村の教育委員会というのは人事権がありませんですね、上部の都道府県の教育委員会が持っておりますので。余り機能していないところが多いんではないかというのが私の率直な印象であります。特に、小さな自治体になればなるほど、これは、人材が、パイが少ないということもありまして、うまく機能していない。そしてまたよく言われるように、地元の名士とか教員のOBで占められているということによって、この教育委員会が果たして機能しているのかどうなのかということについては、私は大きな疑問を感じているわけであります。

私も地方議員をさせていただきまして、教育委員長というのがおられますよね、なっている方に対して失礼なんですが、お飾り的な面があって、実質的に力を握っているのは、やはり教育委員の一人である教育長、これが実質的な力を持っていて、五名ないし六名で成り立っている教育委員会あるいは教育委員長というものはかなりお飾り的なものになっているんじゃないかというふうに思いますが、実情の認識について文部科学大臣は私と意見を同じにされるのか異にされるのか、いかがでしょうか。

■伊吹国務大臣
教育委員会といった場合に、今先生が御指摘になりましたように、地方の名士の方々を中心に五名で構成されている委員会というふうにとらえがちですが、実は、その中の一人が教育長になり、その後ろに膨大な事務局という組織があるんですね。ですから、教育委員で一体何ができるのかというのは、私はちょっと違うと思うんです。膨大な事務局を実は持っておるわけです。

問題は、その事務局を使いこなせているかどうかということが一つと、それから、事務局の方々がほとんど学校現場と交流を持っておられた先生方で成り立っているということですね。そして、どの組織でもそういうことはあるわけですが、自分の身がかわいい、自分の組織を守りたいという気持ちが強い。ですから、先ほど来、北海道の例を先生がお出しになりましたが、ああいうことが起こる。

だけれども、教育委員あるいは教育委員長がそれに対して指導力を発揮できているかといえば、私は全く先生と同じ認識でおります。

■前原委員
では、例えば人事の問題にしても、どのように考えていくかということが私は大事なことだと思います。そこで、あわせて、学校運営協議会制度も含めてちょっとこの教育委員会のあり方を議論させていただきたいと思います。

大臣と私は同じ京都でございまして、京都市の教育委員会の取り組みとして誇るべき仕組みの一つが、この学校運営協議会というものを広めていっているということについては、これは大変いいことだというふうに私は思っております。

これは文部科学省からいただいた資料でございますけれども、十月十一日現在で、百三のコミュニティ・スクール、学校運営協議会制度を持った学校がある。本年度中には百三十四にふえるだろう、来年度については二百七十八にふえるだろうということで、京都市の門川教育長と話をしていれば、京都だけでも五十を超してやりますよ、こういう話をされているわけであります。その百三校のうち、東京も若干ありますね、多いのは島根県の出雲市、それから京都市、これが圧倒的に多いわけであります。

それで、このメリットをどういうふうに考えていくのか。先ほど大臣は、さまざまないいモデルを勘案して、それを広めるようなこともやっていかなきゃいけないという話をされました。私はその考え方は非常に賛成でして、先ほど一番初めに申し上げたように、仕組み、制度、法律を変えても、基本的に現場は変わらない。つまり、現場を変える上で、成功しているモデルケースをどのように広めていくのか、そしてまた、そのモデルケースの中で仕組みとして採用できるものについてしっかりとそれを拾い上げていくということが私は大事だというふうに思います。

さてそこで、この学校運営協議会のメリットについて私の意見を申し上げます。そして、そのことについて大臣のお答えをいただき、そして、それを教育委員会の議論につなげていきたいと思います。

学校運営協議会は、御所南小学校とそれから西総合養護学校、この二つを私は視察させていただきました。ここで思いましたのは、学校運営協議会というのは、学校とそして地域のボランティアの方々から成る学校運営協議会のメンバー、それからPTA、保護者ですね、そういった三者から学校運営が成り立っている。週一回とか二週間に一回とか、夕方から夜に集まって、先生も含めて、学校の運営、総合学習はどうあるべきかということをそういった方々が議論されているわけです。

そこで私は、この学校運営協議会というのはすばらしいなと思ったのは、主に三つあります。

一つは、地域の方々が学校に入り、そして保護者の方々は、もちろん今までも時々は学校に入っておられたんですけれども、先生と議論することによって先生の評価ができるんですね。これは非常に私は大きなことだと思います。先ほど、先生の評価システムということで教育委員会に任せるという話がありましたけれども、私はむしろ、学校運営協議会というものを全国に広げていって、地域の方、保護者の方に、先生と交わる中で先生の評価を厳しくチェックしてもらう。現に、この学校運営協議会の制度については、人事に関する意見というものを教育委員会に上げることができるということが言われていますよね。これは、逆の目からすれば、先生たちは戦々恐々であります、コミュニティ・スクールに指定をされれば。したがって、先生がいわば地域の方々や保護者の目にさらされるということになる。これは一つ大きなポイントだと思います。

二つ目のポイントは、保護者の方々が、もちろん、そういったコミュニティ・スクール、学校運営協議会に参加をしようというPTAの方々は、時間もあって、そして意識も高い方であることは間違いありませんけれども、そういった親御さんでさえ、話をしていますと、自分の子供の家庭での教育に自信が持てない、皆さんどうされているんだろうか、あるいは、地域の方々は今までどうやって子供を育ててこられたんだろうかということを学校運営協議会で議論して、いい勉強になるんだと。つまりは、親の教育にこの学校運営協議会というものはなっているという意味で非常に評価をされておりました。

このごろ、子供を虐待して死に至らしめるという残酷な親も出てきているわけでありまして、そういう親はなかなか学校運営協議会に来るなんということはあり得ないとは思いますけれども、しかし、そういった受け皿をつくって、そして親の意識を変えていくということも一つの大きな私はポイントだと思うんですね。

もう一つ、三点目については、二〇〇七年問題というのがあります。団塊の世代がいよいよ来年から定年退職を迎える中で、再就職をされる方とか趣味を頑張ってやられる方以外は何をするかという話になるんですね、これから第二の人生を。そういったときに、一番大事な国の基本である子供の教育について、学校運営協議会というものをつくって、地域の方々にボランティアとして参加をしてもらう、そのことによって第二の人生の生きがいを見つけていただく。そういう意味では、この学校運営協議会というのは私は非常にプラスの面があるというふうに思っております。

そこで、大臣と民主党の法案提出者に質問いたしますが、私が今三点申し上げたことについての評価と、そして、先生の評価の仕組みをこの学校運営協議会というものに私はかなり移譲してもいいんじゃないかと。ひいては、人事権も含めて、学校長そして学校運営協議会の具申にかけるようなところまでおろしていく方が、きょうの一つのテーマでありますけれども、仕組みを変えるんじゃなくて、現場で本当の血の通った人をチェックし、見、また、緊張感を持って先生が仕事をされるような仕組みになるんじゃないかという私は思いを持っているんですが、それに対して文部科学大臣と法案提出者の答弁をいただきたいと思います。

■伊吹国務大臣
まず第一の御質問ですが、学校運営協議会が持っている意味というのは、私は大体先生の御評価と同じ評価をしております。

教育は、もう申すまでもなく、基本は、やはり家庭教育、家庭におけるしつけ、そして、地域社会における子供の集団の中での育ち方、そして、学校で基礎学力を教える、これが本来のあるべき姿なんですね。ところが、これはもう当然のことですが、社会がこういうふうに発展していく中で、核家族が進み、そして共働きという現実があると、この三つの三角のバランスが崩れてきているわけですね。

それで、先生と私で京都のことを褒め合っちゃいけないんですが、京都というのは、戦災を受けなくて、比較的定着しておられる方がやはり多いものですから、京都ではあの制度は非常にうまく私は動いていると思っております。

ただ、これは、どんどん人口が変わってくるような地域でこのことを画一的にやれと言っても、京都ほど恵まれた地域はありませんので、これはできるかなということは考えておりますが、大変いい試みであると私は評価しております。

それから二番目は、これは、御質問のお答えによっては民主党案の方へだんだん私がのめり込んでいくといけませんので、率直に私の考えを申し上げておきますと、これは、今のような学校協議会のあり方であるから私はうまくいっていると思うんです。これが徐々に人事権を持つとか、あるいは学校運営の理事会的役割を果たしてくるということになりますと、だれがここへ入ってくるか、そして、地域でどういう人たちが主導権を持っているか、こういうことによってかなり難しい問題がやはり私は起こってくると思いますので、今のような、学校の評価も、実はコミュニティ・スクールみたいなところでやっていただいているのと同時に、自己評価というのを当然やっておるわけですね。それから、所によっては、コミュニティ・スクール的評価じゃないけれども、第三者に評価をゆだねているところもありますから、やはり、大所高所からの監査的役割と、それから、地域と学校の連帯の中心にあるという意味でのこの協議会の役割として私は評価させていただきたいと思います。

■高井議員
まさに前原委員が先ほどおっしゃったとおりの、我が党案も、京都の事例もさまざまに参考にしながら、コミュニティ・スクール、地域立の学校ということをかねてから主張してまいりました。

そして、伊吹大臣が先ほどおっしゃったこと、私どもの意見に大変近いんですが、我々は、よりもっと進んだ形で丁寧にやっていこうということで、今回の法案にその面も盛り込みました。そして、真のコミュニティ・スクール、地域立の学校を、行く行くは、いいモデルとして、京都が進めたようなことが全県的に、全国的に広まっていくようにというつもりで、この法案の中にも、最終的には全国に学校理事会を導入していくということを明記しております。

このために、この第十一条で、地域における教育の基本理念としまして、「地域住民の自発的取組が尊重され、多くの人々が、学校及び家庭との連携のもとに、その担い手になることが期待され、そのことを奨励されるものとする。」ことというふうに、先ほど前原委員がおっしゃったような趣旨でここに強く書き込みました。

第十八条の四項におきましては、公立学校においては、「保護者、地域住民、学校関係者、教育専門家等が参画する学校理事会を設置し、」としておりまして、それらの方々が、単なる今までの協力者、傍観者ではなく、みんなが責任を持って、責任のある担い手として学校を育てる、子供を育てるということを主体的に、自律的にやってもらうという趣旨で、制度上もこうして明確に取り込みました。

先ほど来出ております不適格教員と申しますか指導力不足の教員に対しても、教育委員会だけが評価をするということであれば、当然、教育委員会の方だけを向いて仕事をすることになってしまいます。ただ、この学校理事会の中で、みんなの力をかりて、排除するとまではいかなくても、地域の人が鍛えていく、また、校長先生からの目もあるし、地域の保護者、同僚先生、それから教育専門家の目もあるということで、本当に地域全体で、教師自体もみずから鍛えていくということには大変意義があるというふうに考えております。

今、全国的に、特に小さい市町村は地域力が落ちているというふうに言われますけれども、むしろ、地域力を取り戻すために、学校が拠点となってみんなに協力をしていただいて、そこで子供を育てる、次の世代を育てるということで、みんなが地域を活性化させる大きな担い手となると思います。

いじめの問題に関しても、現場で起きたことは、現場で地域の人みんなで協力しながら解決する方策は、まさにこの学校理事会制度ということが大変有効に機能するというふうに考えております。

どうぞよろしくお願いします。

■前原委員
今、高井委員からお話がありましたように、大臣、私も、これをてこに地域力を取り戻すという発想は大事な点なんだろうというふうに思うんです。

大臣がおっしゃったことも私はうなずいて聞かせていただきました。人事権をそこに全部与えていいのかという問題については、ボスがだれが入ってくるかによって大きく異なってくるような部分も確かにあると私は思います。それはしかし、どういうスクリーニングの仕組みをつくっていくのか。

これは、私もいろいろな教育現場を視察に回らせていただいているんですけれども、例えばこのコミュニティ・スクールまでいかなくても、ボランティアを受け入れている学校というのは結構あるわけです。しかし、例えば子供に読書してあげるというようなボランティアをかなりお年を召した方々がやっておられる。そして大事なのは、コーディネーター役なんですね。そういった、時間があって、子供たちにと思う方においては、かなり個性の強い方も多くて、ダイレクトに子供と接すると逆に大きなもめごとになるようなケースという話も私は聞いたことがあります。これは東京のある小学校でありますけれども。そういう意味では、御心配のところというのもわかります。

ただ、先ほど、人口が大きく変わっていくようなところでは果たして成り立つのかということなんですが、今、文部科学省からいただいたこの資料を見ていますと、島根県の出雲市は多いと申し上げましたけれども、それ以外は結構大都市近辺で逆に成り立っている。地域だと、逆に大臣のおっしゃるような心配があるんじゃないかと思うんですね。地域的なボスの人が入ってきたら、まさにその人を向いて、先ほど高井委員の御答弁じゃありませんけれども、教育委員会を見て今は仕事をしているのが、今度は地域のボスを見て仕事をしてしまう。そこら辺をどういうふうに排除していくかということは、この学校運営協議会制度には非常に大事なことだと思います。

ただ、そういったスクリーニングをしながらも、先ほどおっしゃったように、いい事例は、これは汎用化していく、広めていくということが私は必要だと思うんですが、今は百三、今年度中が百三十四、来年が二百七十八、これは大臣、今この学校運営協議会というものをどういうふうな目標で広めていこうと、そして、今おっしゃったようなスクリーニングですね、無条件につくれつくれということじゃなくて、今までの先進事例の中でのメリット、デメリットというものをしっかりと経験則を持ってやはりそのシステムにインプットしていかなくてはいけないというふうに思いますが、どういうふうに広めていこうと考えておられるのか、また、そういったものをどういうふうにインプットされようとしているのか、その点について御答弁ください。

■伊吹国務大臣
いいことはやはりどんどんやっていけばいいわけでして、先生は大変言葉を慎重に選んでいただいて、学校協議会とおっしゃっていただいていますから、民主党の提案者は理事会という言葉を使っておられるので、私はすぐにはそれには乗れませんけれども、今の学校協議会的なものは、全国の教育長会議その他で成功事例をやはりしっかりとお見せして、そしてこれを、こんなふうにうまくいっている、しかし中には、こういうボス的な人が入ってきたら大変困る事案が起こってきているとか、そういうことをお知らせしながら、全国にできるだけ広めていくという努力をさせていただきたいと思います。

■前原委員
二○○○年施行の地方分権一括法で、国による都道府県教育長の任命承認権とか教育委員会の是正要求権を撤廃された経緯がありますね。つまりは分権していこうということであります。どこまで分権していくのかということについては議論のあるところだと思います。先ほど、理事会という言葉は使わない、協議会だと。私は、民主党の人間ですので理事会にすべきという視点に立っているわけですが、今は、文部科学省の制度に基づいて議論しているので協議会という言い方をさせていただいております。

例えば、先ほど、これは教育再生会議でも議論になっているというふうに伺っておりますが、やはり人事権ですよね、これを学校長にかなりの権限を移譲するということ、そしてまた、学校運営協議会に具申をするということはありますけれども、全面的にゆだねるわけじゃありません。大臣こだわられているように、理事会ということじゃありませんので。

ただ、今までの流れからすると、現場の力を強めていくということ、また、現場からそういった地域力を高めていくということを考えれば、先ほど、大事なのは、大蔵省で役人としてキャリアとして仕事をされて、予算権、人事権、法案の執行権ということをおっしゃいましたけれども、やはり、力を持つためにはお金をおろすことも必要かもしれませんが、それはきょうは横に置いておいて、人事権を現場におろしていくということをさらに進めていくべきだと私は思うんですが、その点についてのお考えをお聞かせください。

■伊吹国務大臣
学校長が学校の教員をどういうふうに把握していくかという意味では、先生がおっしゃった、ある程度のことを校長にゆだねてやらなければ、校長は全く単なるお飾りになってしまうということはそのとおりだと思いますが、そこで、人事権と先生がおっしゃっているものの中身なんですよね。

つまり、学校外へ出る、学校間の人事の異動というのは、これは学校長ではできませんね。学校内の担任だとかどうだという人事権は学校長にございます。これは今でもあるわけです。だから、今具体的におっしゃっている人事権の中身というものを、学校間の異動ということになりますと、どこの学校へ行ってどうするかというのは、これは自分の学校を超えた学校への異動の仕組みを扱うということになりますので、やはり、どこかでそれをやる場所がなければ難しいと思います。

■前原委員
大きな会社をイメージしていただきたいんですが、例えば、昇進して部長あるいは支店長、あるいはもうちょっといった取締役になっていくとしますね。そのときに、過去に一緒に汗をかいて働いた人間、そういった者をやはりある程度引き上げて、自分の仕事を一緒にやれる、この人なら一緒に汗をかいて同じ苦労をともにできるんだ、こういう感覚というのは身につくと思うんですが、今の仕組みですと、今大臣がおっしゃったように、学校間を超えることについてはなかなか学校長も人事権は持ち得ないということであります。そこを、教育委員会から割り振られた人間で仕方がないというように今まで来たわけですけれども、つまりは、学校長に、どういう人が欲しい、あるいはだれが欲しいというようなこともしっかり具申をして、例えばそれを調整する仕組みというものがそれを聞けるような、私の今申し上げた人事権というのはそういう文脈で使っております。

別に、与えられた者で担任をだれにするとか、そんなものは今までもやっているわけですから、そうではなくて、もう少し超えた、学校間のものであっても、どういう人が、例えば京都市の教育委員会の中に先生はだれがいるかというのはわかるわけですから、そういうところを超えたものも学校長に人事権をおろしていくということ、これは教育再生会議でも議論されていると私は聞いておりますが、そのことを申し上げているんです。簡単に御答弁ください。

■伊吹国務大臣
今でも、実質的には表に出ないけれども、言葉はいかがかと思いますが、根回しとか、人をいただきたいというお願いの行為はあるんですね。ですから、それをもう少し顕在的に権限をゆだねてあげるということは、それはあってもいいと思いますが、最後は、今の先生のイメージでいうと、一緒に仕事をしていた人が欲しいと。これは弊害もあるわけですよね。やはり一種の派閥的流れが出てくる。みんなで仲間になった者がなれ合って、結果的に会社だって大失敗しちゃう、プロジェクトの大失敗をしちゃったとか。あるいは、欲しい人間というのは、会社の例で言えば、向こうの事業部も欲しいというのがやはりあるわけですから、どこかでそれは調整しないといけないわけですよ。

ですから、会社にもやはり人事部というものがあるわけですから、この権限は今のところ教育委員会にあるわけでして、教育委員会ともう少し闊達な話し合いを校長ができるようにして、そして先生がおっしゃっているような、できるだけ自分のチームの中で不足している人を欲しいとか、こういうことができるような運営をしていくべしということは、教育関係者の会議で文部科学省からも申し上げさせることにいたします。

■前原委員
つまり、人間関係で、水面下であの人が欲しい、この人が欲しい、それはあるでしょう。でも、それはいかぬという話をしているわけです。いかぬというか、それを表に出して、校長にある程度の人事権をゆだねる。もちろん調整は必要です。そこでまた私は教師の評価というのが出てくると思うんですね。奪い合いになる先生も出てくれば、だれからも欲しいと言ってもらえない先生が出てくるということがあって、それはまた人事評価の一つの判断基準にすればいいと私は思っているわけです。

そういう意味でも、先ほど前向きな答弁をされましたけれども、学校長にある程度発議をして、人事についての意見具申がちゃんとできるという仕組みに変えていく、それがいい意味での分権の流れだというふうに私は思います。

残りの時間で、学力、ゆとり、そして学校週五日の問題について議論をさせていただきたいというふうに思います。

大臣は、カリスマ予備校講師の細野真宏さんという方を御存じですか。自分自身は受験のときには偏差値が三十台であった方ですが、今やカリスマ予備校講師と言われていて、「数学が本当によくわかる本」というこの細野先生が書かれた本は、二百万部以上売れている、ミリオンセラーになっているという話でありました。この方のインタビューの抜粋を少し読ませていただきたいというふうに思います。

毎年痛感するのは、教えている子どものレベルが確実に下がっていることだ。ゆとり教育の根本的な間違いは安易に学習内容を減らしたことだ。「学ぶものを減らせば理解度が上がる」というのは一見正しそうだが、実践では必ずしも正しくない。減らしたせいで、逆にわからなくなった子さえもいる。学ぶ内容が減れば「使える道具」も減るので、むしろ問題が考えにくくなったりするためだ。

こういうことをおっしゃっています。それと、カリスマ予備校講師であるにもかかわらず、

授業時間の削減のせいで、教育産業のさらなる発展ももたらした。公教育がしっかりしていればここまで塾に頼る必要もなかったはずだ。

こういうことをおっしゃっているわけであります。

そのインタビューの中では、塾が衰退していっても構わない、その方がむしろ健全である、それが公教育の充実につながるのであれば、それは大変結構なことだ、こういうことをおっしゃっておりまして、私は、このインタビュー記事を読んで、非常に我が意を得たりという感じがしたわけです。

きょうは格差の問題をするつもりはありませんが、格差の最たるものは、やはり教育の機会均等だと私は思うんですね。そのためには公教育を充実させないと、公教育が充実しないことになれば、お金のある家が塾に行かせたり家庭教師を雇ったりするということで、子供の機会の平等が担保されなくなる。公教育がどのように充実されるかということが、格差の根本の問題を解決する上でも私は大変重要なテーマだというふうに思っております。

そこで、未履修の問題の議論が多く行われたと思うんですけれども、週五日のせいで授業時間が足りない、あるいは大学入試の多様化で受験科目数が少なくなっている、あるいは社会科の必修科目が多くて縛りが不自然になっている、こういった原因がいろいろ挙げられるわけであります。

私学はほとんど週六日ですね。それで、私も、先ほど申し上げたところ以外に、例えば地元の府立高校の視察に土曜日に行ったんです。土曜日に行ったら、みんな授業をやっているんですね、補習授業と称して。府立高校ですよ。そういったことが全般的に行われているわけです。それは別に、受験間近になった二月か三月じゃありませんよ。あれは、行ったのは五月か六月ぐらいだというふうに思います。つまりは、そういった補習授業が行われているのが当たり前になっている。

大臣と私で京都の話ばかりして恐縮なんですが、京都では、今の市長さんを私どもが推薦するに当たって、土曜日をどう活用するかということをマニフェストに入れてほしいという要望をいたしまして、みやこ土曜塾というのをやってもらっているわけです。そこでは、言ってみれば実質学校週六日制のようなものをやって、総合学習とかいろいろな自然体験とかも含めて、あるいは、先ほど申し上げた、授業が足りないというそういうところでは、補習授業をやったりしているわけであります。

私は従来から学校週六日制に戻すべきだという論者であって、これは、民主党の中では、学校週五日制で土曜日は自由に使えるようにしようということで、学校週六日制という言い方はしていないんですけれども、しかし、実質土曜日も使うべきだということでは考え方がまとまっているわけであります。

今は実際に土曜日がかなり多くの公立の中高で活用されているということを考えたときに、この学校週五日制をどう思われますか、未履修や授業不足、理解度不足ということも含めて。大臣の御答弁をいただきたいと思います。

■伊吹国務大臣
週五日制を含めてゆとり教育というのは、やはり、発足したときの考えからすると、現実は、非常に不完全に、そして不幸に使われていると私は思いますね。知識を応用していくためにはどういう勉強をするのかという目的のために実はゆとり教育という発想が出てきたと思うんですが、その間、実際のゆとり教育の現場で何が行われているかということを考えますと、どうも最初のアイデアと少し違うんじゃないかという気が私はしております。ですから、ゆとり教育が悪いというんじゃなくて、ゆとり教育という言葉のもとで現場で行われている運用について私たちは少し考えて、そして文部科学省としての考え方を教育委員会にお伝えしなくちゃいけないなと、これは一つそういうことです。

それから週五日制は、これで学力が落ちたということになるかどうか。例えばOECDなんかの調査で世界の学力調査をさせますと、このごろは一番高いところにはフィンランドが出てくるわけですね。フィンランドは週五日制なんですよ。ですから、必ずしも週五日制が学力の低下の原因であるというわけでもないと思いますし、先生のときはいかがだったでしょうか、私が高校生、中学生であるときは、朝早くあるいは放課後、教師の先生方が来られて、希望者を集めてみんな補習をしてくれたりいたしましたですよね。

だから、使命感を持ってということを申し上げると、労働過重みたいなことを強いるようになりますが、先ほど松原先生がおっしゃったような先生の問題を含めまして、特に夏休み、冬休み、春休みがあるわけですから、教師の先生方ももう少し頑張ってくだされば、世界の大きな流れの中へ慎重に慎重に、段階的に段階的に入れてきた五日制ですから、これを制度として今すぐ変えるというのは、ちょっと文科大臣の立場としては、なかなかそのままお答えはしにくいテーマだと思います。

■前原委員
私の高校時代の一つの思い出を申し上げれば、日本史の先生で宅間先生という方がおられて、大体、日本史というのは最後まで終わらないんですよね。受験前に江戸時代まで行ったらいい方で、明治以降はなかなか行かないということで、大臣が先ほどおっしゃったように、その宅間先生は補習をみずから自発的にしていただいて、これはクラスも横断的にだれが来てもいいということで補習授業を自発的にやっていただいて、明治以降の授業をしていただいたというケースはございました。ですから、先生ということはあると思います。

もう時間が終わりましたので私の質問は終わりにいたしますが、では、学校週五日制をとっているフィンランドが最高の水準だと。しかし、学校週五日制に移行して、さまざまな要因の中で、それだけじゃないかもしれないけれども、日本のゆとり教育というのはひずみを生じている。先ほど大臣みずからがおっしゃったように、当初の目的とは違う形に来ている。実態は、土曜日を使って必死になって補習をしている公立校もいっぱいある、私立に負けないために、受験に合うためにと。

時間がなくてきょうは突っ込むことはできませんが、学習指導要領では、例えば社会科は、世界史が必修で、そして日本史と地理から選びなさい、それと公民も含めて三科目、しかし理科については、理科基礎か理科総合を含む二科目、数学については、数学総合と数学1のいずれか一方ということで、例えば工学部生が数3をやらないとか、あるいは医学部生が生物をやっていないとか、非常におかしな仕組みになっている。それの根本が学習指導要領にもやはりあるのではないかと私は思うんですね。

ですから、週五日でいくということであれば、なぜそういう学力の低下も含めて起きているのか、未履修の問題も含めてですね、そこは学習指導要領の変更も含めてぜひお考えをいただきたいと思いますし、またこれについては機会があれば議論をさせていただきたいと思います。

終わります。