プロフィール記事・論文活動写真館国政報告会行事のお知らせ議事録リンク開票結果直球勝負!質問主意書
前原誠司の『直球勝負!』

前原誠司の「直球勝負」(45)

〜「ねじれ国会」を活かす〜

 

 政治の世界に限らないだろうが、責任ある人の発言は、これほどまでに大きな影響を及ぼすのかを改めて認識させられた。福田総理の「公約というほどのものだったんですかねぇ」の一言だ。本年夏の参議院選挙、年金が争点になった。消えた年金記録、約5000万件。我が党の長妻昭議員らの追及によって、政府・与党は窮地に追い込まれていた。当時の安倍総理は選挙期間中、すべての遊説先で「1年以内に、すべての年金記録の照合を完了させます」と絶叫して回った。参院選後、厚生労働大臣になった舛添氏も「最後の一人まで、1円残らず給付します」と意気込みを語っていた。それが、このたびの白旗。「1年以内の照合は無理」。百歩譲って、1年以内は無理としても、「公約が果たせなくて、誠に申し訳ない。しかし、出来るだけ早くに照合を完了させ、一人残らず給付できるよう最善を尽くしたい」と言うのならまだしも、件の「公約というほどのものだったんですかねぇ」(福田首相)、「あくまでも意気込みを語っただけだ」(舛添厚労相)という発言が続けば国民が怒るのも無理はない。「政治家の言葉は、これほどまでに軽いのか。国民を馬鹿にするな」。結果、内閣支持率は10〜15ポイント低下した。内閣支持率がこのまま推移すれば、福田内閣は危険水域に突入する。

 極端な例を言えば、25年以上、年金の保険料を払った人が社会保険庁の事務的なミスで、24年11ヶ月しか保険料を払っていないと見放されたとする。たった一ヶ月足りないだけで、この人は年金をもらうことが出来ない。もらえる権利の25年以上払ったのに、である。あるいは、ある一定期間の保険料の支払い記録が欠落していて、満額の給付をもらえていない人も大勢いるだろう。その人たちには生活がある。社会保険庁のミスで、本来、享受できる生活を送れていない人たちなのだ。年金記録の紛失というのは、こういった人たち、一人ひとりの生活を親身に考えて、一刻も早く救済をしなければならないという、政治の責任感を持てるかどうかにかかっている。本当に総理が、大臣が、政治家が、困っている人たちの気持を慮って政(まつりごと)を行っているのであれば、あのような発言には絶対にならない。残念ながら、福田さんや舛添さんは本当に国民の生活を考えていない。一事が万事だ。怒り、呆れを通り越して、空しさだけが心に残る。

 福田総理は内閣支持率急落に慌て、年金問題などを議論するための「社会保障国民会議」を立ち上げると発表し、民主党にも参加するように呼びかけた。小沢代表は拒否をした。当然だ。政府・与党のアリバイ作り、あるいは負担増の共同責任だけを負わされるのはたまらない。そもそも、「社会保障国民会議」を立ち上げる必要性はどこにあるのだろうか。国会こそが、国民の代弁者が議論する場であり、国権の最高機関として社会保障などを議論する場ではないのか。政府・与党は、国会をあまりに軽視し過ぎていないか。

参議院選挙で民主党が第一党となり、衆議院と参議院の多数が違うという「ねじれ」が生じた。当初、なかなか法案が成立せず、「ねじれ」が、あたかも悪いことのように言われた。挙句の果てには大連立まで取り沙汰された。これからも「ねじれ」は生じる可能性は高い。そのたびに大連立を考えていたのでは、政党政治は育たない。政権交代という、民主主義の「保険」機能が失われるではないか。むしろ、プラスに考えるべきだ。今まで、衆参ともに多数を握る状況が続き、国会は形骸化してしまっていた。法案は与党の事前審査が通れば、国会で如何に良い議論を民主党が行おうとも、基本的には法案は修正されずに成立していた。特に、連立政権になってそれが顕著になった。つまり、国会は「議論の府」ではなく「手続きの府」、「ガス抜きの府」に成り下がってしまっていたのである。

しかし、「ねじれ」が生じて国会の議論は一変した。民主党が出した法案が参議院で可決され、衆議院に送られる。大切だと思われる法案は、国会での議論を経て修正され、成立に至る。地震などの被災者に、住宅再建支援まで行うことを盛り込んだ被災者生活再建支援法がようやく改正され、また、事務所経費の問題を受けて、すべての政治団体に1円以上の領収書添付を義務付ける政治資金規正法も改正された。「ねじれ」がなかったら、これらの法改正は実現しなかっただろう。国民の一票で民主党が参議院選挙で勝利させていただき、「ねじれ」が生じたからこそ、成立にまで至ったのだ。「ねじれ」は国会に緊張感をもたらした。政治家は与野党に関わらず、何のために仕事をしているかを考えれば、自ずと行動は定まってくる。党利党略ではなく、国家・国民のために奉仕することだ、と。「ねじれ」がお互いの主張を突っ張って停滞するのでは、国民は浮かばれない。「ねじれ」を国会復権ととらえ、国民の目線に立った議論を積み重ねていかなければならない。