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前原誠司の『直球勝負!』

前原誠司の「直球勝負」(37)

〜「鉄っちゃんの品格」とは 〜山口線を訪れて考えたこと〜 〜

 過日、親しくして頂いているネコパブリッシング(「レイルマガジン」や「国鉄時代」といった鉄道雑誌等の出版社)の山下修司さんから、メールを頂いた。山口線を走っているC57についての情報だったが、夏休みの間、私の嫌いな集煙装置が外され、しかもC56と重連運転になる期間があるとのこと。そう言えば、蒸機の撮影は昨年冬の秩父鉄道以来、行っていない。そろそろ「鉄っちゃん」の血が騒ぎ始めていた。スケジュールと睨めっこする。どこかで行けるところはないものか。京都から山口といったら、新幹線を使っても簡単に行って帰ってこれる距離ではない。そこで知恵を絞った。普段は寝ている時間を有効に使って、写真を撮りに行こう、と。京都発が0時37分発の寝台特急「はやぶさ・富士」に乗って新山口に行けば、レンタカーを借りて予めロケハン(撮影場所を予め下見すること)をする時間も取れる。私の心は、決まった。8月17日決行。遠足に行く前の子供のように、わくわくした気持ちになる。

ブルートレイン(寝台特急)で行けば、新山口には朝の7時半過ぎに到着する。新山口の運転所で、少しでもC57やC56の出区風景を見させてもらえれば思い、日頃お世話になっているJR連合(JR西労組)の坪井・京都支部長にお願いし、予め話をしておいて頂いた。その結果、新山口ではJR西日本・山口鉄道部長の岡村孝さんをはじめ、多くの方々に親切にしていただいた。私は、ただ単に運転区でC57とC56の出区風景を見せてもらえればと思っていたのだが、鉄道でつながった連帯感は文字通り「鉄」のように強い。出区だけではなく、今日一日撮影のお世話をしていただけるとの、有難いお申し出を頂いた。岡村部長が村上義弘さんという山口線を知り尽くした方をご紹介頂き、村上さんが結局、一日仕事を休んで私を連れ回して下さったのだ。レンタカーを借りて自分で運転すれば、知らない土地でもあり上下2、3ヶ所の撮影、それも名撮影場所にはたどり着かなかったに違いない。皆さんのご好意に感謝をしつつ、甘えることにした。

村上さんの車で下りは3ヶ所(宮野〜仁保、長門峡の鉄橋、徳佐のカーブ)、上りは2ヶ所(津和野〜船平山の丸山踏切、篠目〜仁保のいわゆる「篠直」)の撮影ポイントでカメラを構えることができた。また、折り返し駅の津和野では、ターンテーブルで向きを変える蒸機たちを見ながら弁当を食べるという、最高の贅沢を味わうことができた。撮影した写真の出来栄えは、腕が伴わないのであまり満足できるものではなかったが、本当に大満足の一日であった。撮影したポイントは、どれもが名撮影地であるため、多くの鉄っちゃんと遭遇したが、概ねマナーは良いように感じた。村上さん曰く、昔は相当悪かったそうだ。人の田んぼに勝手に入って、収穫前の農作物を荒らす。山の上から俯瞰で写真を撮るため、勝手に木を切る。たばこのポイ捨てで山火事が発生する。車で蒸機を追いかけるため、無理な運転をしたり、雑な止め方をして他の車に迷惑をかける。場所取りに関わる殴り合いの喧嘩を、周りの迷惑を省みずに行う。あきれ返るほどの愚行が繰り返されてきたという。同じく蒸機が運転されている磐越西線のマナーは、今でもあまり良くないらしい。怒った地元の人たちが、鉄っちゃんを締め出しにかかったことも納得できる。蒸機を愛する村上さんたちがNPOを作り、地元で迷惑がかかり、怒っておられる方々に対して、ファンを代表して謝りに行く。また、マナーの悪い鉄っちゃん達に、注意を促す立て看板を立てたりして、マナー向上の努力を続けてこられた。その努力の積み重ねの結果、山口線でのマナーはかなり改善されたという。

C57の1号機は昭和12年の製造だ。今年70歳、古希を迎える。また、山口線での復活運転は昭和54年8月1日から始まったので、動態保存も28年になる。この間、関係者の涙ぐましい努力によって、C57は今も山口線を走り続けている。関係者の方々に、心から敬意を表したい。永遠に、出来るだけ長くと、多くの関係者やファンが願っているに違いない。しかし、それを望んでいるファンの側のマナーが悪かったらどうなるのか。地元の反対が湧き上がれば、いかに蒸機の調子が良かろうとも運転を続けることは出来ない。趣味のためには人の迷惑を考えない、自分さえ良ければいいというわけにはいかないのだ。それをみんなが自覚しなければ、蒸機の元気な姿を見続けることは出来ない。「鉄っちゃんの品格」が問われている。みんなが気持ちよく、写真を撮りましょう。マナーを守って、地元や関係者に感謝・敬意の気持ちを忘れずに。