前原誠司の「直球勝負」(23)
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防衛庁から防衛省へ 何が日本の防衛に欠けているのか
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1月9日、市ヶ谷の防衛庁で防衛省移行記念式典に参加した。警察予備隊、保安隊を経て、防衛庁・自衛隊として永らく総理府(今の内閣府)の外局に置かれていた役所が、ようやく一つの省として認められた。国防は、国家が国民に対して果たすべき責務の最重要なものの一つだ。「庁から省に変わって何が変わるのか、何が変わらないのか」が国会で再三、議論されたが、堂々と「何も変わらない」と言えば良いのだ。「国防という大切な仕事を、内閣府の外局ではなく省として、より大きな責任と自覚を持って行う」と言えばそれで良い。「自衛官に、より大きな誇りと使命感を付与するのだ」と。変わると説明するために、国際貢献業務を本来任務に移したのはいただけなかった。あくまで、自衛隊の本来任務は、日本国民の生命・財産を守るための国防・災害派遣であり、国際貢献業務は二義的なものであるべきだ。
式典は約1時間。安倍総理と久間・初代防衛大臣の訓示があり、続いて中曽根元総理と瓦元防衛庁長官から来賓としての祝辞があった。中曽根元総理以外は皆、書かれたものを読むだけだったが、中曽根元総理は原稿なし。80代半ばとは思えない明晰さと説得力で聴衆を魅了した。話が終わると、自然と拍手が起こった。それに比べて安倍総理の話は本当につまらなかった。拍手も起きなかった。感動させるものがなかった。総理大臣は色々なところでスピーチをする。すべて、ノー原稿、アドリブでやるのは難しいだろう。しかし、節目節目の大事なスピーチは、原稿を良く練り、読まずに演説を行うべきである。是非、安倍総理には今後、心掛けてもらいたいものだ。
中曽根元総理の祝辞には、三つのポイントがあった。一つは、いよいよ憲法改正を行い、憲法上に防衛の責務を明記すべきだということ。二つめは、憲法解釈で自衛権の行使は「必要最小限度」となっているが、情勢や環境などの変化で「必要最小限度」の中身は変わらなければならないということ。三つめは、文民統制はいよいよ大切だが、文民統制の意味がしっかり理解されておらず、その点を正さなければならないということ。例えば、内局は制服への優位が文民統制だと解釈しているが、それは間違いであり、国会という政治の優位を制度面でも確立することが大事だと指摘された。まさに、わが意を得たりだった。先ほど述べたように、「庁から省へ変わっても何も変わらない」ということは、裏返して考えれば、今、日本の防衛が抱える問題点、未解決の政策分野は相変わらず取り残されたままだということだ。
私も尽力した有事法制の整備を含め、かなり法律面でも政策面でも整備されてきたことは事実だ。しかし、海上警備行動(自衛隊法82条)や対領空侵犯措置(自衛隊法84条)などにおける条文や武器使用基準は、決して現実に対応できるものにはなっていない。そして何より、情報収集、主要装備、ミサイル防衛などの運用を含め、あまりにも対米依存が過度になりすぎたため、主権国家としては当たり前の「自分の国は自分で守る」仕組みが出来ないままで、戦後60年余りを日本は過ごしてきた。それどころか、対米依存はますます進行している。
私は、日米同盟関係は必要ない、破棄すべきだなどといっているのではない。日米同盟は日本の安全保障のみならず、経済活動においても死活的に重要だと思っている。今後も、数十年の単位で、この同盟関係は続けるべきだろう。ただ、過度の依存は日本の自立を妨げるだけでなく、政策の選択肢を狭める。つまり、アメリカは日本の依存を梃子に、アメリカへの政策面や財政面での協力を強く求めてくるだろう。日本の利益にならないどころか、不利益になることも協力を強いられるケースが出てくる。イラク問題が良い例だ。アメリカと日本の利害がいつも一致するとは限らない。いや、一致しないほうが今後は多くなるかもしれない。日本とアメリカのスタンスは違うし、違うべきなのだ。従って、庁から省になったと、ただ喜んでいるのではなく、アメリカとうまく協調して恩恵を受けながらも、いかに情報や装備を中心として自立を図っていくかが、今後の極めて重要な課題となる。キーワードは「自立と協調」だ。外交と安全保障をライフワークとしている国会議員として、自らに課せられた責務だと肝に銘じ、しっかり、着実に取り組んでいきたい。
約7年前に、私の知人であり元航空自衛隊幕僚である潮匡人(うしお まさと)さんが「アメリカが日本を捨てる日」(講談社)という本を書かれた。日本が抱えるジレンマが見事に、ドラマ調に書かれた本だが、私はその書評をある月刊誌に書かせていただく栄を得た。その書評を以下、載せることで潮匡人さんや私が感じている防衛政策上の問題点を指摘することとしたい。
(「正論」平成12年5月号 読書の時間)「アメリカが日本を捨てる日」潮匡人著
とにかくテンポよく、小気味のいいタッチで書かれている。一気に読める。設定はフィクションというより、近未来を先取りしたノンフィクションと言ったほうがより正確だろう。中台紛争なんて起こらないと言い切れる人は、中台双方の現状・変化に対する現実認識が甘く、危機管理という概念が欠如していると言わざるを得ない。
この本で筆者は幾つかの重大な問題を提起している。一つは、集団的自衛権の行使を禁止している現在の憲法解釈では、あれだけ甲論乙駁の末に成立した周辺事態法も、実際はうまく機能しないということだ。「武力行使が一体化」しない範囲での後方支援は机上の空論であり、むしろ一体化しないと、米軍が求める効果的な協力は行えない。ましてや筆者の指摘するように、武力行使と一体化しそうになれば協力を中止する条項が現実に適用されれば、その瞬間に日米安保は「ジ・エンド」だ。
第二に中国に対する認識である。加熱しすぎた経済の混迷、市場経済と一党独裁の矛盾、それを人民の目から逸らすための大中国維持のための強権と軍事力の増強等々。21世紀は中国が日本の安全保障にとって最大の脅威であるということを、筆者は勇気を持って示してくれた。
さらには、航空自衛隊に所属していた筆者ならではの現場を知り尽くした知識と理解から来る様々細かい描写が興味深く、また参考になる点が各所にちりばめられている。
ただ、欲を言えば、より細かく詰めて欲しかった部分もある。一つには、日米同盟を結んでいることにより、書かれているような北朝鮮による脅しだけではなく、実際に日本の大都市や基地が攻撃に曝される可能性があるはずだ。同盟関係は両刃の剣だという意味においてもその点は書いて欲しかった。
また、時の総理が集団的自衛権の憲法解釈を変えて日米同盟関係が土俵際で残ったとされている。それは小説の極めて重要なポイントであり、それ自体を否定するものではないが、集団的自衛権の解釈を変えても、それに伴った法整備や条約改正、例えば周辺事態法やACSAの改正をしなければ、法的に自衛隊が米軍と共同の武力行使や、武力行使と一体化した支援をできるようにはならない。
さて、主要な登場人物である吉川修一と山川翔は一体、誰をモデルにしているのか。私は双方が筆者自身だと読み取った。現実にはアメリカの協力なしに実効的な防衛体制がとれないことを十分理解している面は吉川が代弁し、然りとてアメリカの軍事力に完全に組み込まれ、自分の国を独力で守れない体制になっている現状と、それが日本の自立心を奪ってしまっているという忸怩たる思いを山下が代弁している。日本の防衛を真剣に考えている人なら、少なからずこの葛藤に苦しんでいるはずだ。日本の防衛政策が、まさに砂上の楼閣であることを白日の下に曝し、そのような現状すら知らない国民に警鐘を鳴らし、自らの国を守るという根本的な義務を今一度、考え直すためにも必読の一冊である。 |