前原誠司の「直球勝負」(20)
〜北方領土問題の解決に向けて〜
12月13日、私は衆議院外務委員会において質問に立った。取り上げたテーマは、戦後 60 年以上経っても解決しない北方領土問題と、ますます混迷、泥沼化するイラク問題についてであった。ネット新聞や翌日、翌々日の主要各紙に、北方領土問題に関する私と麻生外務大臣のやり取りが大きく取り上げられ、各方面から大きな反響があったので、質問の趣旨とやり取りの中身、そして私の本意を述べたい(詳しくは議事録を参照していただきたい)。
今年は日ソ共同宣言が発表されてから、ちょうど 50 年が経つが、領土問題を解決した暁に両国が平和条約を結ぶという約束は、未だに果たされていない。なぜなら、旧ソ連時代から不法、不当に占拠されている北方領土問題が解決されていないからである。この意味においても、未だ戦後は終わっていない。詳細は省略するが、江戸時代末期に締結された日露修好条約、千島・樺太交換条約、ポーツマス条約などから判断できるように、戦前は一貫して北方4島(歯舞群島、色丹島、国後島、択捉島)は日本の領土であった。終戦直前、ソ連が一方的に日ソ不可侵条約を破棄して北方4島を含む千島列島に侵攻したが、サンフランシスコ講和条約では、当時の吉田茂首相が4島についてはわざわざ言及して、その他の千島列島については放棄するとの約束を交わし、日本は主権を回復した(ソ連はサンフランシスコ講和条約に署名していない)。つまり、日本固有の領土である北方4島は、いわゆる千島列島とは区別されるべきだとの考え方に基づいた発言だった。
先ほど述べたように、日ソ間では1956年に日ソ共同宣言が発せられ、その内容を巡ってソ連側(現ロシア)は、日ソ両国に横たわる領土問題は、歯舞・色丹の2島の問題だとの認識を、当初は示していた。しかし、その後、冷戦時代の長い間、ソ連は両国に領土問題は存在しないとの強硬な立場を取り続けた。一方、日本は、領土問題は2島ではなく4島すべての問題だと主張し続けた。エリツィン大統領時代になって、ようやく、「4島の帰属の問題を解決して平和条約を締結する」との認識に両国は近づいたが、未だ問題の解決には至っていない。
私のスタンスは、歯舞・色丹・国後・択捉の4島は日本固有の領土であり、2島論、2島先行返還論などには与しない。4島の全面返還こそが、北方領土問題の解決だと考える。今回、外務委員会で私が北方領土問題を取り上げるに至った理由の一つは、麻生外相が安倍内閣発足直後、「3島の返還も領土問題解決の一つの方法だ」と報道機関に語ったところにある。松下政経塾で研修している時、お世話になった方の一人が、沖縄返還や北方領土問題の解決に尽力された故・末次一郎先生だった。末次先生がよく仰っていたのは、「4の半分は2だが、面積で考えれば、歯舞群島と色丹島をあわせた2島は北方領土の面積の、たった7%しかない。2島返還論は絶対ありえない」ということだった。同じ論理で、4分の3は75%だが、国後島を含めた3島の面積は全体の36%しかないのだ。つまり択捉島が全体の64%を占めており、仮に中ロが合意したような面積折半の妥協案を採用したとしても、4島すべてが対象となるべきである。「3島返還論も選択肢」と述べた麻生外相は、「一体、4島の面積は判っているのか?」という批判を加える観点から質問を行ったのである。
他方、私はロシアと平和条約を早期に結び、日ロ関係を大きく好転させることは日本の国益に適うと考えている。それも強権的、旧態依然との批判も多いが、権力掌握しているプーチン政権下で実現することが、出来る限り望ましいと考えている。中国の台頭への対応、朝鮮半島の問題解決、日本のエネルギー安全保障政策の強化、そして環境問題への取り組みなど、包括的な問題について日ロ間でより緊密な連携、協議、そして協力を行うべき時期ではないか。そのためには、二国間の「喉もとに刺さっている魚の骨」である領土問題を、原則を踏まえた上で、政治のリーダーシップで粘り強く解決することは、大変重要なテーマであると考える。
言うまでもないが、外交を内政面の道具として活用しようとすれば、相手から足元を見透かされ、必ずと言っていいほど失敗する。しかも、相手は交渉巧者である。あの、ソ連時代の腹立たしいまでの外交術を忘れてはならない。ロシアに変わったからといって、共産党政権ではないからといって、ロシア外交の本質は何ら変わっていないと考えるべきだ。
内閣支持率が下がったから、その浮揚のために外交を利用しようとすれば、さらに内閣の支持率を下げる結果になる。安倍首相、麻生外相は、そのことを肝に銘じて、ことにあたるべきである。 |