前原誠司の「直球勝負」(10)
「便きょう会」に参加して
9月9日早朝、「便きょう会」に参加した。「勉強会」ではない、「便きょう会」である。つまり、便所掃除を通じて何かを学び取る会なのだ。かねてより、盟友である松井孝治参議院議員から「便きょう会」の存在と参加のお誘いを受けていた。京都市の門川大作・教育長からも話を伺っていた。日程の都合が合ったことと、便所掃除にはある種の思い入れがあったこともあり、喜んで参加させてもらった。
便所掃除に思い入れがある理由は、二つある。一つは、この「便きょう会」のルーツにもつながっているが、自動車用品会社「ローヤル」の創業者・鍵山さんから、松下政経塾に在塾していたころ、便所掃除の大切さを教わった。松下政経塾は全寮制だが、毎朝6時に(冬季は6時半)起床して、ラジオ体操をした後、寮の掃除を手分けして行う。ちなみに、その後は約3kmに及ぶ湘南海岸のランニングが待っている。創業者である松下幸之助さんも掃除の大切さを説かれ、寮内の木は、わざわざ葉っぱが落ちる広葉樹が植えてある。落葉の季節などは掃いても掃いても枯れ葉が落ちてくる。これにはかなり閉口したものだ。便所掃除も「鍵山方式」を採り入れ、スポンジを使ってだが素手で直に便器を洗っていた。土日以外は毎日掃除をするので、松下政経塾の便所はとてもきれいである。
もう一つの理由は、私がご縁を頂いている学校法人に京都・山科(やましな)の一燈園があるが、創始者である西田天香さんが便所掃除を思想の中心に据えられ、今でも一燈園では便所掃除がカリキュラムの中に入っている。一軒、一軒、当然、無償で「便所掃除をさせてください」と言って見知らぬ家を回るのである。山科駅で街頭演説をしている時、寒い冬であっても一燈園の生徒がバケツを持って便所掃除のお願いに出かけるのを良く見かける。心の底から、「寒いけど頑張ってね」と声をかける。
朝7時前、今日の便所掃除場所である京都市立小野小学校に着いた。体育館に続々と人が集まってくる。結局、150名ぐらいが集合した。「便きょう会」のメンバー、京都市教育委員会の職員、そして、小野小学校の生徒、保護者、先生方である。10班に分かれ、それぞれ分担するトイレを指定され、リーダーと呼ばれる人から掃除の仕方の講習を受ける。わが班のリーダーは坂本さんという女性の方だ。細かい指導は、常連である松井参議院議員から受ける。長靴を持ってこなかったので、いきなり「裸足になってください」と言われる。汚い便所に、裸足である。まず、1回目の「ゲッ」である。次に、担当の小便器をあてがわれるのだが、まず、便器の下にあるふたを外す。当然、素手である。これは松下政経塾で慣れているから大丈夫。ふたを外すと、汚水がたまっている。見本として坂本リーダーは、雑巾でその汚水を吸い取り、絞る、という作業を繰り返す。「では、実際にやってください」。素手で、ある。2回目の「ゲッ」である。しかも、臭い。驚いたことに、隣の小便器で、小学生の女の子が、もう、その作業を素手でやっているではないか。負けてはいられない。汚水を雑巾に含ませ、絞る作業を繰り返す。やり始めるまでは抵抗があり、勇気がいるが、一度やったら、もう関係なし。汚水の絞り出しを終えると、その中のこびりついた汚れを紙やすりで落としていく。もちろん、素手である。なかなか、とれない。便器の裏側にも付着しているが、アンモニアが固まって石の様になっているのだ。もう汗だく。素手で便器を洗っているから、「ハンカチ王子」のように汗を拭くにも拭けない。もう流れるがまま。40分以上、一つの小便器と格闘する。次に側面のタイルや床のタイルをたわしで、ゴシゴシとこする。もちろん、素手で。ようやく磨き終え、いよいよ水を流す。見違えるほど、きれいになっているではないか。真っ白くなった便器は頬ずりをしても大丈夫なほど(してませんが)。水に流せば白い便器がきれいになっただけ、洗い残しが目立つ。ムキになって、再び磨き直す。
約2時間、皆の共同作業で便所は見違えるほどきれいになった。素手、素足で行う意味も何となくわかったような気がする。汚いから抵抗があるのであって、きれいになってみれば、何とも感じないのだ。便所をきれいにすることは、心を磨くことだという人がいる。そのように感じられる人は素晴らしいと思う。だが、私は謙遜ではなく、そこまで人間が出来ていないので感じない。きれいになれば良かったと単純に思うし、何よりも子供や保護者の方々が一生懸命に便所掃除をされているのに感動する、触発される。ただ、それだけだ。理屈は何でも良い。便所がきれいになるのだから。便所掃除を行った人が満足するのだから。そして、何かを感じ取るのだから。頑張った子供たちは、これから便所をよりきれいに使うだろう。これからも時間が合えば、参加したいと思う。
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