前原誠司の「直球勝負」(8)
択捉島を訪れて
8月18日から21日まで、ビザなし交流で初めて択捉島を訪れた。北方領土を訪問すること自体、初めての経験であり、大変有意義な視察だった。しかし、8月16日に根室の漁船がロシア国境警備隊に銃撃され、1人が死亡、3人が拿捕されるという事件が起きた。いかなる理由があろうとも、丸腰の漁民に向けて発砲するという行為自体、言語道断であり許すことは出来ない。亡くなられた盛田さんのご冥福を心よりお祈り申し上げあたい。弔問に伺ったとき、ご遺族に「盛田さんの死を無駄にしないよう、再発防止策に取り組みます」と申し上げた。また、拘束されている3人の乗組員のご家族、関係者の皆様には、「一日も早い身柄の引渡しに努めます」とも申し上げた。今まで外務省などへの働きかけを断続的に行ってきたが、ロシアへの働きかけ、危害射撃防止に向けての具体的な取組みなど、一層の努力を引き続き行いたい。
ロシア国境警備隊による拿捕・銃撃事件を受けて、ビザなし交流を中止すべきだという意見が、特に地元・根室を中心に強かった。実際、地元選出の国会・道会議員は参加を取りやめた。その方々の判断に異を唱えるものではない。ただ、今回の事件が、領土問題が未解決であることが主因で起きたことは間違いなく、ビザなし交流自体、領土問題解決のための環境整備の一環として、15年もの間、先人達の努力によって営々と続けられてきたのも事実だ。ここで、日本側からビザなし交流を取りやめることは、原油高で財政的に潤い、強硬な姿勢をとりつつあるロシア側にビザなし交流を打ち切る口実を与えることになる。その結果、今まで努力されてきた関係者の方々の苦労を水泡に帰してしまう。引き続き、「4島の帰属は日本にあるからこそビザなしで訪問するのだ」とロシア側に言い続けるためにも、ビザなし交流の火は消してはならない。これは日本の国益にかなう大義である。
当初は、択捉島に1泊2日(その他、船中2泊)の訪問をする予定だったが、悪天候と国後島・古釜布(ふるかまっぷ)沖での盛田さんのご遺体の引渡しのために、結果として、択捉上陸は一日だけとなり、船中3泊という強行日程となった。私たちの乗った船はロサ・ルゴサ号(ラテン語で「はまなす」という意味。480トン)で、坂本船長はじめ乗組員の方々の操船技術、人柄、食事などのもてなしは素晴らしかった。だからこそ往復で64時間以上という狭い船内での生活も、団員の方々に恵まれたということもあったが、楽しく過ごすことができた。ただ、船の小ささと老朽化は如何ともしがたく、ビザなし交流や墓参を続けるためには新たな船が必要だと痛感した。
4日間、天候は概ね良くなかったが、択捉を訪問した日だけ良い天候に恵まれた。島全体で約7000人の人口、舗装道路は一切ない。信号も皆無。数少ない車のほとんどが日本の中古車で、日本ならとっくに廃車になっていそうな代物がほとんど。しかも泥だらけだ。たった480トンしかないロサ・ルゴサ号さえ接岸できる岸壁がなく、紗那沖から艀(はしけ)で上陸する。日程は行政府への表敬訪問、対話集会、墓参、昼食時の家庭訪問、水産加工工場訪問、そしてカフェでの夕食と二日間の日程を一日に凝縮したものとなった。地区行政府では長官、副地区長、そして議会副議長らを表敬。団長である西澤・中標津町長から、訪問団受入への感謝、ビザなし交流の重要性の表明とともに、根室沖の拿捕・銃撃事件への強い抗議が述べられた。対話集会では、顧問として参加をした私と土屋品子代議士が挨拶を行った。私からは「日ソ共同宣言が採択されて今年でちょうど50年になるが、未だに平和条約は締結されていない。4島が歴史的に見ても、国際法に照らしても日本固有の領土であることは疑いがなく、4島の帰属を日ロ間で確認した上で、共同開発や共生を模索すべきだ」ということと、「いかなる理由があろうとも、非武装の漁民に危害射撃を加え、死に至らしめるということは言語道断、あってはならないことだ。ロシア政府に対して抗議と謝罪を申し入れる」旨を述べた。銃撃事件に対しては、長官や副議長から遺憾の表明はなされたが、領土問題は予想通り、全く平行線のままだった。ただ、ロシア側もビザなし交流の継続は両国の友好・発展のために極めて大切であるとの認識が支配的で、銃撃事件の直後にもかかわらず、我々が訪問したことに対しては、感謝・評価の言葉が相次いだ。
日本人の墓地は、ロシア人の墓地と「共生」していた。しかし、雑草が生い茂り、川口さんというご高齢の元島民の方の墓地を一緒になって必至に探したが、残念ながら見つからなかった。でも、川口さんの思いはご先祖に必ず通じているはずだ。
行政府副地区長のお宅で昼食をご馳走になる。ナンバー2の家であるにもかかわらず、お世辞にも良い家とはいえない。むしろバラック小屋に近い。しかし、食べきれない料理が次から次へと出され、歓迎の思いを感じることが出来た。これも、ビザなし渡航を続けてこられた先人たちの努力の賜物だ。たまたま、副地区長のご主人が国境警備隊員であり、率直に今回の銃撃事件の感想を聞いた。彼は、漁民に危害射撃を加えたことは理解できないと語った。通常、警告を無線や音声で伝え、それでも停止をしない場合は警告弾を発射し、なお停船しない時は船体に非危害射撃を加える決まりになっているそうだ。船が日本の領海に入れば、それ以上は深追いしないことも付け加えた。
今、ロシアは原油高による好景気、財政黒字に沸いている。その影響で、辺境の地とされた北方領土まで、連邦と州の潤沢な資金が入りつつある。具体的には2015年までのクリル開発計画が、それだ。病院(50床)を整備し、日本の援助で出来たディーゼル発電所のほかに地熱発電所も建設し(択捉島は火山が多い)、公営住宅も建設する予定だ。さらに、新空港、港湾、道路の舗装も計画されている。新しい水産加工工場も出来て、樺太鱒や鮭の加工能力がより増強され、自立した経済的基盤も整いつつある。今までの領土返還運動が、北方領土の開発の遅れに目をつけて、日本の資金と技術を梃子に進めるというやり方だったが、完全に方針転換が迫られている。今は、我慢の時でもあるとも痛感した。
帰りの船の中で、元島民の方から切実な思いを聴かされた。「私が住んでいたときよりも島が荒れている。択捉の良さが失われている。政治家が領土返還問題をもっと真剣に受け止めて、本気で取り組んで欲しい。そうでなければ、死んでも死に切れない」と。松下政経塾時代、故・末次一郎先生に薫陶を受けた。「北方領土問題が解決しなければ、日本の戦後は終わらない。前原君、頑張ってくれ」。とてつもなく大きな宿題だが、多くの方々の思いを受け止めて、しっかり取り組んでいきたいと、今回の視察を通じて思いを新たにした。
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